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ヒカ碁二次創作のお話置き場です(ヒカル少女化注意)

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リボンの棋士 48

 

ちょうど永夏が投了したと同じ刻、ここは再びヒカルの国。

城の片隅にある 暗い部屋の中、
引きずられて放り出された格好のまま、床に仰臥していた男の姿があった。

 


ヒカル王子が正真正銘の男だという、立派すぎる証拠を目の当たりにして、すっかり放心状態に陥った御器曽卿である。


戦だなんだで他の者達にその存在をすっかり忘れられていたこの男、

情けなくも主人である倉田大公までも再び姿をくらましてしまい、存在感の薄いことこの上ない。

気力なく、体を起こすが、暗い床から腰を上げることも無く、ぶつぶつ文句をたれていた。

 


「なんでぇ、せっかく永夏様のお力をお借りできたってのに、
ヒカル王子は立派なイチモツぶら下げてやがるし、
ばか大公は俺のことを見忘れていやがる。
…ついてねぇにもほどがあるぜ… 何かの間違いじゃあないのか、まったく…」

それでもなにか挽回できる策は無いものか、 いっそのことヒカル王子に詫びを入れて…

などと節操の無いことを考え始めていた時、

 

突然御器曽の体が、電気が走ったようにビクリと震え、御器曽の表情に緊張が走る。
その直後、まるで操り人形の糸が解かれた様に、その場に崩れ折れた。

 


「間違い…間違いなぁ、
そうだ、これだけ滅茶苦茶なことがが続いて起きてもいいってんなら… 
つまりはアレだ…

オレがこの国をいただいちまってもイイってことだじゃないか、え?
 へ、 へ、  へ…。」

 

再び立ち上がる御器曽。

しかしその様子はどこか人間としてはいびつで、内部を無数の生き物が蠢いているような異様な雰囲気を漂わせていた。

 

「そうそう、オレは今まで どうも慎重に なりすぎた。
これからは  もっと はじけねえとイカン な。
このままでいたって、もう出世も何もありゃしねえんだ。

それより 王が いない今、チャンスを逃す手は  ねえよな?」

御器曽は体を妙に引きずりながら玉座の間に向かった。
すっかり骨折り損のくたびれもうけだと意気消沈していた男の脳内から、せせこましいたくらみも脈絡のある言葉さえも姿を潜めた瞬間。

それはまさに、西の国の王城から、永夏が姿を消したその瞬間だった。

 

その事を知る術もないこの小部屋で、御器曽は、永夏の魔法が解けた その気配だけは察したらしい。

魔法が解けたのなら、御器曽にかけられた魔法も消えてしまうはずなのだが、なぜかこの男、かえって元気になってしまったようだ。

いや、元気というのは少し違う。

永夏のかけた魔法がその拘束力を失ったのはいいが、もともと代わりにぶち込まれていた魂の主が生命力にあふれていたために 
どうやら暴走をはじめてしまったのだった。

 

 

。 . 。 . 。

 

 

ヒカルの国の城では、戴冠式の準備が慌ただしくすすめられている真っ最中だった。


西の国が攻め込んできた事でひとまず延期されていたが、どうやら戦いがおさまり、一段落ついた今、ヒカル王子の即位をとりおこなう事になってしまっていた。

「ななな何で今、んなことやるのさ?」

 

慌てる“ヒカル王子”。

彼は馬である自分が即位しそうな事態に慌てていた。

 

「いったん引いたとはいえ、正式な降伏がまだ聞かれない状態です。敵が再び攻めてこないとも限りません。このまま王が不在では、士気にも関わります。ヒカル王子には今すぐに王冠を戴いて頂かないと。」

「イヤあの 戴いて頂くのはいただけないんだケド。」
「なにをワケのわからない事を。」
「だってヒカルさ、あ、イヤ、アキラ殿が、じゃなくて、エート倉田さんは?」

「王子は相当お疲れのようですな…。」

森下はヒカルの妙な狼狽ぶりにため息をついた。

 

「…確かに倉田大公が未だ無事かどうかがわからないうちは戴冠式どころではございません。」
「そーだろ?そーだよなァ?」
「しかしご安心を。西の国方面に新たに捜索隊をよこしておりますぞ。
そんなわけで大公がお帰りになられ次第、直ちに式が執り行えます様、式の準備は進めませんと。
さ、身仕度の方はあかり殿に任せますので、王子はどうぞそちらへ。」

「な、なあ、オレの意見ってのは」
ヒカル王子は何か抗議しようとするが、有無を言わせず大勢の家来に担ぎ上げられて、身仕度を整えるべく連れて行かれてしまった。

「うわあああ、オレ、どーしたらいいんだ?」

 

 

。 . 。 . 。

 

 

戴冠式に臨むべく、礼装に身を固めた、ニセモノ“ヒカル王子”。

 

控えの間や広間の内外を式の準備で家臣たちが慌しく周りを行き交う中、視界の端に亡き王の側を離れた王冠が大事そうに運ばれていくのを映しながら、はあ、とため息をついた。

「どーしよ あかり様……。」

あかりは、ヒカルそっくりの少年がこれまたそっくりな口調ながら、自分に敬称を使うのに、未だに違和感を抱いてしまい、なんだか妙な面持ちで見ていた。

「大丈夫ですよ、王子、国王になられるのは当然の流れですし、今は皆が、そうされることを望んでいます。」
不安そうに首をゆらしている仕草はやっぱり…「馬」なのかしらと思いながら、潤んだ目で見上げられると、つい慰めたい気持ちにさせられてしまう、あかりなのだった。

 

「やっぱまずいよなァ、オレが王冠かぶるだなんて…」
「そうかしら、今は“王子”と名乗っても、平気なんでしょ?…王子も王も、大差無いと思いますけど。」

「…あかり様って、時々、大胆な事言うよなァ…。」

「…「様」はやめてください。他の者に聞こえます。」

「あ。 と、 そか そうだな、…あかり。」

「…その姿で呼び捨てにされるのも何か複雑な思いがありますわね…。」
「どーしろってんだよ…。」

 

この王子の正体は馬だ、魔法で姿を男の子に変えられているだけなんだと自分に言い聞かせるが、そう思いながらも目をヒカル王子に向けると、相手は二コリと笑みを返してくる。


『…。 反則よ。そんなの…。』

 

あかりは、ほんの少しだけ頬を赤らめてうつむいた。

 

 

戴冠式とは言っても、戦の合間に取り急ぎ行おうというのだから、急ごしらえな感はぬぐえない。

とにかくとっとと王になっていただこう と言う森下の言葉は乱暴だが、まさに今の状況はその通りだった。

ふと見れば、慌しく準備を進める家臣の中に、あの御器曽卿の姿がちらりと見えたような気がした。
戦の前には泡を吹いて倒れた御器曽卿だったが、いつのまにか元気になったのだろう、と“王子”は首をかしげた。

「御器曽卿?…ナニやってるんだろ、アイツ…?」

「さあ、新しい王に取り入ろうとでもいうのかしら。あんな失礼な事をしておいて。」

「しかし元気なヤツだな。まるでゴキ…。と、失礼。ご婦人の前で。」

「いいえ… 本物のヒカル様ならズバッと言っておいでですわ。」

「…そーだな。まだ修行が足りないや。」

「あら、とんでもない。むしろあちらに修行して戴きたいところです。」

「え、そ、そーなの…か…?」

 

妙にどっしり構えてみせる侍女あかりだが、ヒカル王子のふとつぶやいた一言で、心配そうな表情にかわった。
「ところで、王妃様は今?」

 

。 . 。 . 。

 

 

あかりは王子に許しをもらうと、王の遺体の安置された部屋を訪れた。

数人の侍従が心配そうに見守る中、すっかり弱った様子の王妃を心配して、傍らに跪く。

 

「王妃様…。」
「…この人は死んでしまうし、ヒカ…リボンの棋士は…どこかに行ってしまって…。博士も姿を消してしまうなんて… もう、私たちだけなのかしら…。」

もうほんとうにおしまいね と 力なくつぶやく王妃を、あかりは懸命に励ます。

「大丈夫ですよ 王妃様、きっと大丈夫です。」
「先ほどから、リボンの棋士はと呼んでいるのにちっとも来てくれないのよ、“あの子”は一体どうしているの?」

他の者に聞こえては大変だとあたりを見回し、あかりは王妃に小声で話をした。

「リボンの棋士は、…ヒカル様は、不在なのです。少し前に、社王子を連れて城を逃げました。そのせいで今は追っ手がかかっていますが…。」

それを聞いて王妃は目を見張った。

「…社王子…? あの者は この人を殺したかも知れないのに!」

美津子の怒りを含んだ驚きの声に、あかりはあわてて首を振った。

「いいえ、違います!王妃様、社王子は犯人ではありません!たぶん…。
エート…いろいろややこしいのですが…今はヒカル様を信じて待ちましょう。」

 

「でも…。」

「それに、桑原博士も今は姿が見えませんがちゃんとお力添えしてくださっているんですよ。」

「博士が…?」

「ええ。…実は、あの、もう一人のヒカル王子…みたいな男の子も桑原博士の魔法で…」


そう言った時、視界の隅を黒い影が走るのをあかりは見逃さなかった。。

キラリ

目にも止まらぬはやわざで、あかりはその影に向かってスリッパをたたきつける。

「そこッ!」
スパーン!

…めくったスリッパには、折れた黒い触角がへばりついていた。

害虫を捕り逃した事に一瞬チッと舌打ちをするあかりだったが、
王妃に振り返る時には、いつもの可憐な表情に戻っていた。

 

「とにかく、王子も…ヒカル様も、今がんばっておられます。塔矢の若様もお力を貸してくださいますし、皆を信じて待ちましょう。ね。」
あかりの明るい顔に頷くが、ベッドに横たえられた夫の亡骸を見ては、また、嘆息を漏らす 王妃なのだった。

 

 

その部屋の外では

御器曽卿が頭を抱えて蹲っていた。

 

「イテテテテ…あのアマ…カワイイ顔しやがって、なんて暴力的なヤツなんだ。」
あかりに限らず女性とは 概ねそう言うモノだという事は、女性に縁遠い御器曽にはわかっていなかった。

 

先ほどの小さな黒い影は、御器曽卿の変身だったのだ。

「…しかし、あの話だと、やっぱりヒカル王子はあのリボンの棋士…女の子だってことじゃねェか…!

クソ、あんな馬並みの影武者なんか何時の間に見つけてきやがった…。まんまとだまされるところだったじゃねえか。

ふふふ、よォし、これはいよいよ倉田大公…いや、もうあんな馬鹿大公はどうでもいい、 次は俺の時代だ!」

 

勢いづいた御器曽卿は、喜び勇んで城の中を駆け回る。しかも壁伝いに。

 

「今のすばしっこい影は…?」

「え?何か通ったか?」

 

その場にいた城の家来が、気配に気付いて辺りを見回すが、すでにそこには何もおらず、気のせいだったかと首をかしげながら各々の仕事へと戻っていった。

 

 

「王は死に…王子は偽物…本物は女でしかも罪人になって逃亡中…。ばか大公はまたまた行方不明…。王妃もあの有様…。邪魔者はみんないなくなる。…と。」

邪悪な笑いを漏らしながらつぶやく。

「こんな調子で、一体このあと、この国を治めるのは誰だ?え?」

 

 

。 . 。 . 。

 

 

「御器曽卿?今はまだ玉座の間には入れませんぞ。」

御器曽の様子を見咎めた城の者達が声をかけるが、御器曽は
新しい王はオレ様だ とか訳のわからない事を口走り、制止に応じない。

「待たれよ、御器曽卿!」
力ずくで制止しようと御器曽の肩を掴む兵士。

振り返る御器曽。翻すマントに不思議な力でも宿っていたのだろうか、とてつもない力が相手を襲い、兵士は即座にはじき飛ばされてしまった。

御器曽卿は玉座の間の扉に手をかけると、人間とは思えない力で扉をこじ開け、中に入るとまっすぐに玉座を目指した。


ヒカル王子はやはり女だ!
王位につけぬのに王子のふりをし、今は替え玉の王子でだましているんだぞ!

ウソだというならリボンの棋士を捕まえてみろ!そいつが全てを知っている!
それに王妃と侍女のあかりもだ!あいつらは国民をだます大罪人だぞ!

 


椅子にはい上がり、腰かけると高笑いした。
まるで血管の切れそうな常軌を逸した笑い声が空気をいやな色に染めた。

 

 

それに応える様に城じゅうが不気味な響きをたてる。
城の人間は、その人間離れした異様な声に、ぎょっとして立ちすくんだ。

 

無能の大公も再び姿を消した!これからはオレがこの国を支配する!

城のあちこちの石の隙間がきしみ、場内をワンワンと響き渡った。

それは玉座の間で叫ぶ御器曽の声が伝って大きく反響しているかのようだった。

 

近くに居合わせた兵士は謀反の声を上げる御器曽を捕らえようと、剣を抜いて玉座の間に駆けつけようとした。

しかしどうしたことか一向に玉座の間にたどり着くことが出来ない。

 

「どうした、早く行かんか!」

 

困惑した表情を浮かべる兵士達に向かって、その場で足踏みでもしているのかと指揮官が声を上げるが、

いつの間にか灰色の敷石の隙間が黒光りし、ザラザラとうごめいていることに気付いた。

 

「な、なんだこの床は?!」

そう声を上げて足元を見たとたん、足元に小砂利の如く虫があふれ、その波がものすごい速さで兵士達を押し流した。

「うわあああッ!?」

その声を玉座に座って聞いていた御器曽、満足そうにうなずくと
高笑いの後、大きく声を張り上げた。

 

王冠はどこだ…!とっととこの玉座の間に持って来い!この国の王冠は …オレ様にこそふさわしい…!

 

 

。 . 。 . 。

 

 

城の外では、日向が手入れを施されて、新たに馬鎧を付けてもらっていた。

 

戴冠式の後、新王ヒカルを乗せる為だ。

 

日向は本来アキラの愛馬だ。しかし今、見栄えの良い馬と言えばこの日向号くらいしかいない。

戦場でヒカル王子とともに戦ったということもあり、
王に即位したヒカルを載せるのにふさわしいのはこの馬以外には無いと、ふたたび拝借されていたのだった。

 

その日向は、不安そうな様子で城の窓から自分の様子を見下ろす“王子”に、キツイコメントをくれていた。

『…。ほら見たことか。最初に言った通りじゃないか。軽はずみにそんな格好になるからだ。』

『何だよ、まだそんな事言ってんのかよ。しつっけーな。』

『そんな口答えをするというなら、堂々と構えていればよかろう?
大体何だその不安感丸出しの眼は。男のクセにみっともないぞ。』

『コ、コイツ~…。』

『もう後へは引けまい?だったら後戻りしたがるんじゃない。』

『オレは後戻りしてェなんて思っちゃいねェよ!』

 

そんな馬語で応酬の真っ最中に、城のあちこちに何かが走り回る気配がすると思うと城全体に響く異様な声、日向と王子の格好のナチグロは目を丸くして辺りを見回した。

「ナニ?今のは?」

王子の部屋の外では何人かの人間の騒ぎ声がする。

『なんだか様子が変だぞ?!』

王子は窓を離れて扉にむかった。

「悪ィ、チョットみてくる!」
『用心したまえ!危ないぞ!』
「ああ。オマエこそ気をつけろよ!」

 

部屋の外ではちょうどヒカル王子の部屋に戻ってきたあかりが、家臣らに呼び止められてあの言葉はどういうことかと問いただされていた。

 

「御器曽卿が王になるなどと騒いでおるのはともかく、あかり殿、一体大罪人とはどういうことです?」

「何か心当たりは?」
「なっ 何やってんだ、やめろよ!あかりを離せ!」
「王子!王子も偽者などとあの男が騒いでおりますが、」
「そ、そんなことねえよ、オレは」

王子が弁解しようとした時、一体その様子をどこから見ているのか、すかさず御器曽の声が聞こえてきた。

ハッ 嘘だな!そいつは偽者だ!大体本物のヒカル王子が、そんな凛々しい男な筈ないだろう?

その言葉に、そういえば…などと言い出す家臣がちらほら。

 

「オイオイ!オマエらどっちを信じるんだよっ!」
「あ、いや、もちろんあの御器曽卿の言葉など我等は…」

そのとき御器曽卿がとんでもない事を言い放った。

「そうだ、本物だと思うなら、『継承者の間』へ…秘密の部屋へ行かせてみろ!本物ならば、ちゃんと部屋に行って何か証拠の品を取ってこられるはずだ!」

あかりがギョッとする。

城にずっと住んでいるとはいえ元は馬、城の内部のことはまるで知らないのだ。ましてや王位継承者しか知らない秘密の部屋への行き方など、知っているはずがない。

 

「あかり、秘密の部屋ってどこ?」
「シッ!」

あかりはあわてて王子を制した。

あ、今なにか聞いたな?

「どっから聞いてやがんだよテメェ!どこに居やがるっ!」

 

部屋を見上げて、声だけの相手に怒鳴り返す王子。
城の石組の隙間がやたらと騒がしい。

その騒ぐ音が時折御器曽の声を形づくるような そんな様子だった。
目を凝らすとその隙間の影は何か小さい黒い影が群れを成して動き回っている様にも見

える。

 

「…なんなんだ?」
「もしかしてアレは…?」

あかりがスリッパを手にすると ザッという音とともに、波の引くが如く気配は弱まった。
「エ、まさか今のは…?」
「王子、お疑いするわけではありませんが、ここはひとつ、継承者の間に行って頂いて…」

 

家来のもっともな申し出に一瞬王子は肩をすくめた。

「アー、ウン…い、今じゃなきゃ ダメかな?ホラ今戴冠式やっちゃおうって言ってたのにさ…?」

 

家臣たちはそれに何も答えられず言葉を濁した。だがその目に疑いの色がじわじわと濃くなっていく。

御器曽の気の触れたような笑い声が当たりに響いた

 

ヒャーッッハッハッハッハ!ごまかそうってのかい?ニセ王子!ニセモノのくせに戴冠式をやろうってのか!馬鹿めが!

「くっそお…!」

さあさあ、もうオマエに出来ることは二つっきりだ!継承者の間に行って身の証を立てるか、この城を逃げ出すかだ。さあ、どうする?!

 

「いッ、行くさッ!!」

「王子っ!」

「あかり、頼む。」
王子はあかりの手を引いて、その部屋を飛び出した。
「王子、そっちじゃありません!こっち!」
「あ、ああ、そーだった!」

 

そーだった等と言いつつ本当はどうなのかさっぱりわかっていないが、
王子はあかりの言葉に合わせて向きを変えて廊下を走った。

 

走る間も、乾いたざわつきが壁伝いに追いかけてくる様だ。

「ええい、アッチ行きなさいよ!もうっ!」

あかりがスリッパを振り上げるとまたざわつきの波が引く。その隙にあかりは王子に話しかけた。

「王子、あの、継承者の間は…」

あかりは、秘密の部屋の近くまでは案内できるが、部屋への入り口は王位継承の資格がある者しか知らない。

 

オイ!とっとと王冠を持って来いといってるのがわからんか!

その言葉が終わらないうちに、床の敷石がぐらぐらと揺れた。

「ウワ?!」
言っとくが、今、お前達はオレの腹ん中にいるのも同然なんだ、いう事をきかねえと…

「こりゃあ、チョットやばくねェ…?」
王子は険しい表情で冷や汗を流した。

城の回廊を駆け抜けるヒカルとあかり、見下ろす庭に、城の扉の前で途方にくれる家臣らを見た。

城の外で馬の世話をしたり兵の隊列を整えていた所のようだ。その中には森下や緒方達もいた。

「…森下ッ!みんな!」
「王子?!あの部屋に行かれるのですか!」

御器曽の声が城全体を震わせて何処にいようと聞こえる状態だ、ヒカル王子が何をしに行くところかは皆に知れ渡っていた。

「アウ」

王子はいささかあせりを見せたが、
隊列を整えている兵馬の中に、アキラの愛馬を見止めて突然足を止めた。

 

「…日向!」

 

主人、塔矢アキラ生き写しと言ってもいいほどの、
白馬のゆるぎなく、射るような眼差しは、ヒカル王子の狼狽を一喝するようだった。


王子は慌てるあまり、自分を見失っていた事に気付いた。その場に立ち止まり、自問する。

『― 御器曽ごときにびくついていて、どうするんだよオレは…!ヒカル様だったらどうしてる?
城なんかより、王冠なんかよりアイツ等を… ―』


「…王子?」
あかりが声をかけた直後には再び不気味な声が辺りに響いた。

どうしたニセ王子、もう降参か?

「…うるせえっ!…オマエみたいなバケモンに付き合ってられるかってんだよ!」

上を仰いで怒鳴りつけると、外にいる者達に向かって叫んだ。

 

 

「…… オマエ達 逃げるんだ!」
「は?」

「この城はバケモノにのっとられてる!
ココにいたらヤバイんだ!
みんな、とにかく こっから逃げろ!」

 

『キミはどうするんだ!』
白馬のいななきが王子には言葉になって聞こえてくる。

 

『バケモノ相手ではキミの手に負えまい?!キミも逃げろ!』
「いいから早く行け!そのうちきっとヒカル様が、  …!」

ヒカル王子は突然動きを止め、ピクリと耳をそばだてた。
日向もまた、呼び声を聞きつけた様に空を仰いでいる。

 

『オイ、日向…!?』

『ああ、呼んでいる…!』

 

「どうしたんですか?王子?」
あかりが王子に尋ねる。

そのとき、突如、日向が駆け出した。

「あっ!王子様の馬が!?」
「馬が逃げたぞー!?」
「おーい!追うんだ!」

馬の世話をしていた家来たちは慌てて追いすがるが、素晴らしいダッシュに誰も手綱に取りすがることは出来なかった。

 

 

「日向?!」
塔矢藩の御家来衆も、普段からその馬の温厚で優秀な様を見ているだけに、いきなり遁走する白馬の姿に驚きの声を上げるしかなかった。

 

何人かの家来が馬に跨って日向を追い、王子はそれを観て叫んだ。

「そうだ!追っていけ!追うんだ!城の外へ!みんな走れ!」

なんだと?城を棄てて逃げるのか、腰抜けどもが!
「ヘン!テメェ程じゃねェよ!妙な魔法ナシじゃ何も出来なかったくせに!」
なにを?!

「なんだかわかんないけど城をこんなヘンテコにしやがって。
こんな城にいられるか、みんなで出ていくからオマエ一人でそのイスにすわって怒鳴り散らしてろ。バーカ!」

キッチリ開き直った王子が何処へともなくアカンベーをして見せると、明らかに辺りの温度が変わった。

「王子、急に一体どうしたんです?」

ヒカル王子は、わけがわからないといった様子で差し伸べられたあかりの手をとりながら答えた。

「…ヒカル様だ…!」
「えっ?!」

王子もまた空を見上げて目を瞠っていたが、日向と同じく、床を蹴って再び駆け出した。

 

しかし継承者の間にではない。

「…オレも行く!」
外に向かって走り出す王子の手を握ったまま、あかりはつられて一緒に駆け出した。

「どこに行かれます?王子!秘密の部屋は…!」

 

「みんな!外に出て!こっから出るんだッ!」

 

走りざまに王子は声を張り上げて城の中にいる者達に呼びかけた。
駆ける日向、その後を追う兵士に棋士、それに続いて王子の声に従う者たちが城の外に向かう。

 

すでに日向は姿が見えないくらい遠く離れて駆け去ってしまった。

ヒカル王子とあかりはそれを横目に観ながら回廊を駆ける。

 

どうした王子!逃げるのか?ニセモノめが!逃がすわけなかろう!?

御器曽が叫ぶ声が、回廊の中をイヤな共鳴音をともなって響いた。
回廊から階段を駆け下り、庭に飛び出す二人。

そのあとを黒光りする波が乾いた音と共に追ってきた。

 

「うわあ、やっぱり追っかけてきやがった!」
「スリッパじゃ追いつかないわ!」
「いいから逃げろって!」

地を這うような黒い波は二人を捕らえようとどんどん追いついて来る。

城の堀に架けられた跳ね橋にたどり着いた二人。
だがその後を追う御器曽のしもべ達は橋に喰らい付き、たちまちのうちにぼろぼろにしていく。

 

「くっそぉ、もうダメか?!」

足元がひどくぐらつき、前に進めない。このままでは落とされてしまう。
それでも懸命に前進を試みる王子は、あせりの表情で振り向き、あかりに叫んだ。

 

「…オレの名を呼んで!
オレの名を!
…あかり!」
「ヒカル王子?!」

王子は首を振る。
「違う!
オレの 本当の名前!」
「でっ、でも!」

佐為が呼んでるんだ!」
「エッ?!」

「ヒカル様が戻ってきたって!オレ、行きたいんだ!」
「王子…!」

 

「お願い、あかり、
…オレの名を呼んで!」
「でも…!」

 

自分の手を引いて走る王子の姿を見つめて、しばし躊躇していたあかり。
それに気付いたヒカル王子は辛そうに笑いかけた。

「ゴメン、ゴメンな、あかり…様…。でも、」
「…!な、ナニ謝ってるのよ、やだ、」

あかりは自分の心に引っかかるものを見られたような気がして、かあっと頬を染めた。

「もう、…馬のクセにっ!」

「…!そーだよ!あかり様ッ! オレの名は…!」


「…馬のくせに、
…ナチグロのくせに生意気なんだからッ!」

 

あかりは叫んだ。ヒカルの愛馬の名前を。

 

「アリガト、あか  り  …。」

 

自分の手を引くヒカル王子の手が
みるまに黒い風のように流れ去り

 

目の前の少年の姿は、振り向いて微笑む姿の残像を瞳に焼き付けて、
黒い馬の姿に変化し、あかりを背中に載せ、猛スピードで跳ね橋の上を駆け抜けた。

 

あっけにとられるあかりを再び地上に降ろすと、長い顔をあかりの頬に摺り寄せ、首を振りたてながら一声高くいななくと、ヒカルの愛馬、ナチグロは風のように駆け去った。


その場に立ちどまって あかりは肩で息をしながら 小さくなっていく黒い影を黙って見送る。
その直後、背後では、御器曽のしもべどもにすっかり喰い蝕まれた橋が堀へ砕け落ちていった。

わらわらとあかりのそばへと駆け寄ってきた森下たちが、目の前でおきた事に信じられず、
遠い馬の後姿とあかりを見比べながら、一体何がおきたのかと尋ねた。

 

 

「きっとすぐに帰ってまいりますわ… 本物のヒカル様が…」

 

あかりはそうつぶやくと体から力が抜け、ゆっくりその場に座り込んだ。

「ちゃんとお役目を果たさなきゃ、承知しないんだからね、

…ナチグロ…!」