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ヒカ碁二次創作のお話置き場です(ヒカル少女化注意)

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リボンの棋士  49

 

 

丘の上でアキラとヒカルは合点のいかない顔を見合わせていた。

 

「一体どうしてボクたちは日向に?…佐為殿は…?」

 

 そのとき、ヒカルが困惑しながら手を伸ばし 撫で付けていた馬の首が急に振り上げられた。

「ウワ!?」

驚く二人が見守る中、白馬は天を仰いでいなないた。

「日向、どうした?…上?…もしかして…、天に帰ったとでもいうんだろうか?」

それを聞いてヒカルが驚きの声を上げた。

「帰ったって…佐為が?そんな…そんなことねえよ!だって、オレの魂だって、まだ…」
言いかけてヒカルはハッと胸に手をあてた。

「ア…、そうだ、…オレはもう、持ってないんだ…」

天の使いとしての役目が果たされるまではヒカルと一緒にいるはずだった佐為だが、今のヒカルは、佐為をつなぎとめておくモノをもう持ってはいない。

「イヤ、 でも、 まさか、… 佐為、どこに隠れてんだよ、出て来いったら…」

「ヒカル?」

「アキラも探せよ、きっとアイツ、またドジ踏んでどっかで…」

急に落ち着かない様子になったヒカルは鼻先で天を示すようにいななく馬から眼をそらすと鞍を降りた。

「ヒカル、」
アキラも続いて馬を降り、

キョロキョロとあたりを見回して、佐為がその辺にすっころがっているんじゃないかと探しているヒカルに声をかけた。

「ボクにはそうは思えない。…もしや、いやおそらく、佐為殿は役目を終えて、天に帰って行ったんじゃあないのか?」

「へ?!…ナニ言ってんの?アキラ、ま、まさか…こんなときに帰っちゃうなんて…。」

ヒカルは眼を泳がせ、あたりを見回した。が その眼は、ただあたりの景色を上滑りしているだけだ。

 

「そんなの…」

ヒカルは声をわずかに震わせながら言い返した。

「そんなのありえねェよ、だって、これからお城に行って…」

「それはボクたち人間の事情だ。…君も気付いているんだろう?」

図星を指されてヒカルは言葉を詰まらせた。


神だの天使だのというのはお話の中でだってそう人間にべたべたとお世話をするものではない。

 

要点を抑えて現れはするが、人間の都合にこたえてくれるようなものではないのだ。

あれやこれやと世話を焼いてくれるのはむしろ魔物か悪徳商法を営む皆さんと相場が決まっている。

それでいくと佐為はもう、一旦堕ちたのも無理は無いくらいの出血大サービスぶりを示してくれていた。

ヒカルの狼狽ぶりは、そのあたりの事がわかっている人間のものらしく 佐為は本当に帰ってしまったのか、というヒカルの不安を如実に顕していた。

「そんな事…、」
ヒカルは かぶりをふる。

「 オレ…、…まだアイツ、ホント、どっかに…」

「落ち着くんだ、ヒカル。」

「それにオレのコト 大好きだって… 愛してるって いってたのに…」

「…。」

「なあ、言ってたよなァ?」

すがるような眼で振り返り同意を求めるヒカルだが アキラはただ 辛そうに微かにかぶりを振る。

「何で黙って消えちゃうんだよ?そんなのおかしいって… 
ヒトのコトはさんざん文句たれといて、自分はアイサツもしないで消えるのかよ…!?そんなのアリ?」

 

「…ヒカル…。」

あまりの動揺にヒカルの声は波打っている。

「イヤ、アイサツなんて… こんなに胸が不安でいっぱいなのに、オマエがいなきゃ、オレ…」

「ヒカル…!」

血の気の引いた唇をかみ締めて、ヒカルは自分の体を抱きながら天を仰いだ。

「ヤダ、やだよ、佐為、まだ行かないで、オレは… オレは…!」

アキラの声も耳に届かない。そんな様子のヒカルに思わず手を伸ばしたアキラ。
ヒカルの肩をゆすって叱咤する。

「…ヒカル、ヒカル!しっかりしないか!
…一国を支える者が、そんな事でどうする!」

今言うべきはそんな台詞ではない、

とアキラの心は叫んでいた。

が、つい気を確かにさせようと、いつぞやのように堅苦しい苦言をはいた。

 

だが、今のヒカルには以前のような叱咤の効果は現れない。

瞳を潤ませて首を振るヒカル、その眼はアキラをすら見ていない。

アキラはおぼろげに感じていた。今ヒカルが必要としているものを、自分は与えなくてはならない。

普段の彼ならば、間違うことは無いはずだった。なすべき時を逃さず、なすべき事を誤らない、それが彼の天賦の才… なのに。

それが今は、どういうわけか彼の頭には正解がひらめくこともなく、幾多の考えが頭の中を渦巻くが 
…それが自分の欲求なのかなすべき事かの区別が付かない。

そのうえ そのどれをもうまくやれる自信が まるで無い。


『―なぜ、この大事なときに 何も言えないんだ どうすればいいか なぜ わからない ―。』

佐為の名を呼ぶヒカル。その肩を掴むアキラの指が震える。

「ヒカル、ヒカル、ボクの声が聞こえるか?」

ヒカルはその声に反応しないで不安な顔を横に振るばかり。

 

アキラはとっさに、しっかりしろ、と ばかりに いつかのように手を上げた。
だがあの時とは違って、今の自分はヒカルを女の子だと知っている。

いったん上げた手だが振り下ろす直前に動きを止めた。
が、その一瞬の後に、再び振り下ろされる。

間近で バシン と乾いた音がして、ヒカルは反射的に肩をすくめた
刹那、アキラが自らの頬を打ったのを見て、ヒカルの目は驚きに見開かれた。

「ナニ? …な、なにやってるの?アキラ!?」

 

アキラは結局、躊躇して身動きの取れない自分自身こそしっかりしろ、と自らに喝を入れたのだった。
だがいまだ答えは見えぬのか、迷いの果ての苦い表情で、じっと耐えるように立っている。

「バカ、痛いだろ、そんなことしたら…」

「…イヤ…、痛くなどは…、」

ヒカルは、眼をそらすように伏せたアキラの頬に手を伸ばす。

じんと痺れる頬にふんわりと触れるヒカルの手。
その優しい感触にアキラは固まっていた体がはらりと解される思いがしてヒカルを見つめた。

今辛い思いをしているのはヒカルの方だろうに、その眼はアキラをいたわる想いを素直に注いでくれている。

これでは逆だ。自分がそうしてやらねばならない時じゃないのか。

「…ヒカル…!」
いとおしさがつのって、ヒカルの伸べられた手をゆっくりと掴むと、その体を引き寄せて抱きしめた。

「アキラ?!」

「ボクがかわりに…いや かわりになどなれはしないが、…」

 

胸に伝わるアキラの体の熱が入り込んでくるような感覚にヒカルは眼を瞠る。

自分の中にぽっかり空いた部分にそれが流れ込んできて、初めてその空虚の存在に気が付いたような思いがした。

冷たく固いひび割れに、甘く染み渡るかのような暖かさに、
ヒカルは アキラの背に回した手の ぎゅうっと硬く握っていたこぶしを、そっと開いてみた。

開げた両の手でしっかりとアキラの体の厚みと熱を感じとる。

 

『あったかい…』

ぎゅっと眼をつぶった。

 

アキラの熱い胸の中にしまい込まれて、凍えて崩れ折れそうになっている心が支えられるのを確かに感じて、

頬を寄せていたアキラの襟元から、ゆっくりと顔を上げ、アキラを見上げた。

 

ヒカルを見つめるアキラの眼、その潤む眼に宿る、優しく、だが強い光がヒカルの心を奪う。

清冽な香気の立つような眼差し。

 

 ― ヒカル、この者は いい匂いがしますよ。―

 

佐為の言葉を思い出す。

 

『いい匂いって、こういうことかな…』

 

ヒカルの目許に ふと 笑みが戻った

 

しかしアキラは表情を変えない。

「… (アキラ?)…?」

呼んでみようと思ったが声が出なかった。

「ヒカル…ボクを見て」

「(見てるやい)…」

と言い返すはずが、言葉が出なかった。

 

かわりに瞬きを一つ ゆっくりと そして

再び見上げた時、アキラは静かな声でヒカルに語りかけた。

 

「ボクは なりたいんだ
キミの力に。」

「…アキラ… 」

ただその言葉だけで、頼もしい支えを得た心地がして、じっと見つめるヒカルの眼にようやく活き活きとした光が宿る。

その輝きに小さく安堵のため息を漏らし、
アキラはふと、瞬いて

 

「…そうか、ああ そうだ…。」

「?」

 一人 何かに気付いて納得したようにつぶやくアキラに ヒカルは首をかしげた。

 

「確かにボクは、キミを守ってあげたいと思っていたのだけれど… 
何かが違う気がしていた。お姫様を護るというのとは…。

 キミを 女の子だから守る というんじゃないんだ。」

 

ヒカルはアキラが何を言い出すのかと少々変な顔をして聞いていた。

 

「ア、いや、確かにキミは女の子だけど…

キミはきっと守られて生きる女の子じゃあない。…そうだろう?」

『そーなのかな?』

ヒカルは自分ではよくわからなかったが、アキラがそう言うならそうなのだろうか?

 

「だけど 支えは必要だ。

キミがキミらしくあるために、ボクは力になれまいか?」

 

きっとヒカルの心の中にあったもうひとつの魂は、眠っていたとしても知らず知らずのうちにヒカルの心を支えていたのだろう。

いや、それが本当はどういう働きをしていたかはわからないが、生まれたときからずっとあったものがいきなり消えたのだ。
不安でたまらないのは当然だ。

支えてやらなければ 壊れてしまう。

 

アキラは思う。 その支えに自分はなりたい と。

 

「ボクとキミとで同じ方を向いて進んで行こう

君の歩き方でかまわない よろけそうになったら支えあえばいい。」

 

「アキラ…。」

「水溜りがあったら 一緒に飛び越えよう。」

 

ヒカルはおもわず小さな笑いを漏らした。

「…ごめん、今のは、変な例えだったな…。」

 

「イヤ、いい、いいよ アキラ、ありがとう…。

ウン…。オマエが支えてくれるのなら、不安なんか感じないで しっかり前を向いて立てそうだ。」

「ヒカル…。」

 

― あるイミ、支えてくれるどころか土台を蹴っ飛ばされたような気がしないでもないけどさ…。

 

オマエ無しで立てなくなったらどうするんだよ。―

 

ヒカルは、はにかんだ笑みを見せながら、心の隅っこでそんな独りごとをつぶやいた。

アキラは向かい合うヒカルの真芯を射抜くように見つめている。

 

「大丈夫、キミはきっと前のように、イヤ、前よりずっとキミらしくなれるだろう。」

「アキラ…。」

「そして、それはボクの望みでもある…。」

いつだか紙を折って作った人形みたいだと思った事もあった、アキラの立ち姿だが、
今はむしろその場に一本の樹の様にすんなりと立つ姿がとても自然に見える。

「なぜなのか、 それはうまく言えないけれど、きっと確かにそうだと言える。
ボクは…」

いつしか柔らかな笑みをたたえて見詰めながら アキラは静かに けれども低く確かな口調で言った。

 

「好きだ
ボクはキミが好きだ 
理屈なんかじゃない 

どうしようもなく大好きなんだ 」

 

理詰めのアキラらしからぬ句読点すら入れ忘れた強引な告白に ヒカルは面食らう。

だが、これこそアキラの本当の部分なのではないだろうか。
そう思えたのだ。

ヒカルは大きな瞳を瞬きする毎に、笑みを顔いっぱいに充たしていった。

アキラの言葉を宝物のように胸の中にしまいこみたくてしょうがない。

 

「アキラ、ありがとう、アキラ…
どうしよう、オレ…
オレもオマエのコト大好き すごく すごくすき 」

 

ヒカルはアキラの頬を両の手で包んで、唇に導いた。
女の子に先手を取られたことにアキラはほんの一瞬戸惑うような顔をしたが

吸い寄せられる想いのままにヒカルの吐息に舞い降りた。

 

一瞬の遠慮がちな触れ合いの後、

息をするのも惜しむほど お互いを求め合って強く深く繋がり合う口付けに 
固く瞑った眼の奥がいつか見た花火の様に真っ白にスパークする。

 

 

― 甘くて もう 心臓が止まりそう ―

 

流れ込む想いの濃厚さに眼がくらむ。

 

 

アキラの手はヒカルの髪に深く絡んで ヒカルの指はまっすぐな黒髪を柔らかに紡ぐ

くちづけはいつしか 相手に何かを贈りたくてしょうがない そんな想いの触れ合いにかわり、
瞳も唇も静かに笑みを含んで 触れては離れ

 

やがて胸いっぱいに満たされた幸せが暖かな灯りをともして

ヒカルの凍えもアキラの迷いも跡形も無くとかしてしまう。

 

伝え足りない想いをどうしたらいいのだろうか お互いの頬に指を沿わせて、

額を 瞼を 頬をついばむ。 

 

ヒカルは、アキラの固く瞑った瞼の端に涙が滲むのを見た。

 

「ア… …泣いてんの?オマエ…?」
「なっ…!」

眼に手をやりながら はねる様に離れるアキラ。

「泣いてなど…!」

しかし、一旦は強がる肩から、すう、と、力を抜いた。

 

「…イヤ、…恥ずかしながら、その通りだ。」

「エ?」

 

「あんまりうれしかったから… …」

「そ、そんなコト 臆面も無く…言うなよ…。」

 

「どうして?」

「どっ…どうしてって 」

 

「そういうキミの方こそ、顔が真っ赤じゃないか。」

「~~~~~…!」

 

ふふ と笑ってみせるアキラに 今度はヒカルが片手を上げて、ばつの悪そうに顔をおおった。

 

が、しばらくしてヒカルの肩が力の抜けたように落ち 、それに連なる腕が 手が するりと降りた。

手につられてうなだれたヒカルの表情は再び沈んだ色をしている。

「でも…ダメだよ、 アキラ… だって、だってオマエは…」

アキラは、かぶりを振りながら、ヒカルに皆まで言わせまいと言葉でさえぎった。

「何があろうと、ボクは行くよ キミと一緒に。
ボクは… 」

 

 

「ボクは キミとともに歩く未来が欲しい。 」

「…アキラ…。」

 

 

そこに風に乗って遠くから聞こえるもう一頭の馬のいななき。

聞きなれたその声にヒカルは顔を向けた。

 

「あっ…、ナ、 ナチグロ!?」

「…なんだって?!」

 

間もなく黒い馬が側に駆け寄り、ひときわ高くいななくと蹄を高く蹴立てて立ち止まった。。

「ナチグロ!…オマエ!」

ヒカルは黒馬に駆け寄ると、その興奮気味に振りたてられている頭を抱いた。

「お、おいオマエ、元に戻っちゃったのか?…そうだ、戦に出たんだろ?怪我はナイ?…よしよし…。」

お互いの無事を確かめ合うようにヒカルは愛馬をさすり、黒馬は主人に首を摺り寄せた。

「なんだ、全然元気じゃんかぁ…。よかったな、ウン、きっとよくがんばってくれたんだな…。」

ナチグロはヒカルを、背に乗れという様に首で促した。

ヒカルが鞍上に身を据えると、黒馬は さもうれしそうに一声いなないた。

それを見てアキラがおもむろに再び白馬に跨ると、ゆっくりとナチグロは日向に近づいてきた。

 

日向もまたナチグロに向かって歩み寄りお互いの首を寄せ合っている。

日向のそんな様子にアキラは目を丸くした。

日向はとても賢く恭順な馬だったが、気位が高く、他の馬と馴れ合う所など一度も見たことは無かったのだ。

ヒカルもそれを意外そうに見ながら、顔をあげ、アキラと顔を見合わせて目をパチクリさせていたが、
お互いが鏡のように同じ表情をしているのだと気付くと、どちらからとも無く笑いだした。

 

二頭の馬の仲睦まじい様子に少しはにかみながら、見詰め合うまま笑顔は静かになり

アキラが眼に鋭さを取り戻しながら語りかけた。

「さあ、行こう、ヒカル。まだやることは残っている。」

アキラはナチグロ達を示して言った。

「確かに、無事なのはよかったかもしれないが、元に戻っているということは、正体が見破られたということじゃあないのか?」

 

「…そーなんだよなァ。おい、どうしてもとに戻ったんだよ?…って聞いても無駄か。もう馬に戻っちゃったもんな。」

 

ヒカルは黒馬の首を撫でた。黒い首がそれに答えてヒカルを振り仰いだ。

 「佐為がオマエ達をココに連れてきたんだろうか。オレたちのために…
なァ? オマエ達?」

 

「ヒカル!」

アキラの声にヒカルは振り返る。 アキラは既に戦いに臨む男の顔になっていた。

「覚悟はいいな。」

アキラは手綱を軽く取り回し、城の見える方へと馬を向ける。

 

「ああ。」

ヒカルもまた表情から甘い色を削ぎ落とすように、腕でぐいと頬を拭った。

 

「行こう、アキラ。」

口元をぎゅっと硬く引き結んで、ヒカルは愛馬に駈け足の合図を送った。
「さあ、城へ急げ!」


飛ぶように駆ける二頭の駿馬。見る見るうちに遠くに小さくかすんでいた城がはっきりとした姿になり近づいてくる。

 

 

ヒカルはふと思い出し、懐の小瓶を探った。指先でからりと中の小さな飴玉がビンの中を転がるのを感じる。

 これを飲めば、(桑原翁の言った事が本当なら)自分にかけられた呪いが消える。もう佐為がそばにいなくても、平気で碁を打つことができるのだろう。

だが解毒剤といってもやはり魔法薬だ、飲んだときにどんな危ない目に遭うやもしれない。

せっかく飲み忘れていることを思い出したのだが、今は先を急ぐ。
それに馬上では落っことしてしまいそうだ。

一旦取り出しかけた手を止め、今あわてて薬を飲むのはやめておこう と、ヒカルは再び懐の奥にしまいこんだ。

 

『せめて馬を降りてからだな…』

ヒカルは懐の手を抜き、手綱をしっかと握りなおして、行く手の空に眼を上げた。

 

高い空には白い絹の様な雲が浮かんでいる。
佐為の衣のような、滑らかな白い輝き。

佐為、…オレのことどこかで見てる?
それとも…もう、雲の上で神様と碁でも打ってるのかなあ?

 

なあ佐為、…オレ、

オレ、 絶対に手に入れてみせるから、今までより 自分らしく生きられる 自分ってのを…!

 

佐為、お願い、空にいるなら、そこから見ていて…! 』

 

 

。 . 。 . 。

 

 

 城の前にいた家臣たちは、草原の向こうからやってくるふたつの人影に気付き、
ヒカル王子が黒馬を駆りふたたび戻ってきたと、いっせいに出迎えた。

 

 

しかし、誰もが はっきりと姿を捉えられるまでに近づいたヒカルを見て、困惑の表情で言葉を失う。

 

 ―さっきまでのヒカル王子とは、まるで別人のような様子は一体どうしたことだろう?―

 

力強く地を蹴って駆ける黒い馬、それに跨るヒカルは、よけいにその華奢な風貌が目立って、出迎えた者たちの表情を怪訝なものにさせていた。

 

「ご覧ください!あれに、若様が!」

市河が白い馬の背に主人の姿を見て歓喜の声を上げた。

芦原もうれしそうに手を振り上げてアキラの無事なる帰還を喜んだ。
「よかったですねえ!ホラ、若様あんなにお元気そうですよ!僕はもう、なんで付いて行けなかったんだってずっと心配でしたよ!」

「よく言うな、戦の時はニコニコして敵を追い詰めていたくせに。」
緒方はそう言いながら、安堵に小さく頷くと、アキラの凛々しい姿に勝利をもぎ取っての帰還であることを確信し、鼻息まじりの不敵な笑みで出迎えた。

「ほう、ずいぶん逞しく見えるもんだな。…まったく、命知らずの困った、いや、頼もしい若様だ。」

 

 

「ヒカル様ーッ!」

あかりは駆けより、鞍を降りたヒカルに抱きついた。

「わあっ!」

ヒカルはあかりのイキナリのタックルを受け止めるどころか、二人仲良く風に吹き倒されたようにあっけなく地面に倒れこんだ。

「あいたたた…。ゴメン、もう結構疲れちゃって…受け止められなかったや、エヘヘ…」

「あ、イエ、申し訳ございません!…私のほうこそ、もっと逞しいような気がしていたものでつい…。」

あかりはそう言いながら、傍らで早駆けに疲れ、ふいごの如く荒い息をつく黒馬を見上げる。

「ありがとう、ナチグロ、…ご苦労様。」
あかりのねぎらいに ぶるるっ と返事をしたかのようなナチグロだったが
地面に座り込んで見上げるあかりにおもいきり鼻水のしぶきを浴びせてしまった。

ヒカルがとっさにマントでおおったおかげで、雨の被害は防がれたが、
同じくすぐ横で息をついている日向号が、ナチグロをたしなめるように嘶いた。

「んもう、あんた達は…ホントに…どうしようもなく…」

頭からかぶせられたマントをゆっくり引き下ろしながらあかりは言った。

「馬なんだから…!」

 

ヒカルは何事かさっぱりわからない、と きょとん とし、
ナチグロがばつの悪そうにあかりを見おろす中、
あかりはスカートの裾をはたきながら再び立ち上がった。

と、馬が、その様子に今にも怒られるといった様子で、そろって一,二歩あとずさる。

「はいはい、馬は馬同士仲良くしてなさい。」

あかりは馬達に手をひらひらさせながら、辺りを見回して馬丁を見つけると、走り疲れた馬達に布を掛けて体を温めさせるように声をかけた。

「さあ、ゆっくり休むのよ。」

 

馬が曳かれていった後に残された二人を遠巻きにして、家臣たちはひそひそとささやきあっている。
アキラに手を引き上げられて立ち上がるヒカルの風貌が、ついさっきまでいた王子とはあまりにも違うからだった。

「男らしく成長なされたと思っていたが、」

「また元に戻ってしまわれたような…」

「あれは目の錯覚だったか?」

「いや、確かに戦場での王子は、もっとこう…。それに先ほどまでとは衣装も違いませんか?」

「コレはまたずいぶん薄汚い… 本当に王子なのでしょうかな?」

「薄汚れて いや、相当ぼろっちくはございますが、
しかしあの風貌、先ほどまでよりは非常に見なれた感じがいたしますな…。」

「するとやはり先ほどまでおられたのは…偽者?」

「いやしかしこれは我等の知るヒカル王子というには あまりに女の子…のような…???」

 

ヒカル自身気付いていないが、彼女はこの一週間ほどの間に、長々と引き伸ばされた時間をすごしてきたのだ。
今なお十分に男っぽい振る舞いのヒカルだが、成長期の少女が何ヶ月にも値する時の間にどのような変化を見せるものか…
加えて男の魂を失った、今のヒカルは……。
長年ヒカル王子を見知った人間ならば、余計にその変貌に眼がいくというものだった。

 

 

ナチグロが変身していた王子が本当に少年の如き風貌であった事だけではない。
いや、それがあったからこそ余計に今のヒカルは華奢な点が際立っていたし、さらにアキラへの感情が言い訳の聞かないほどに少女らしい艶を与えていたのだった。

「ねえ!?」

突然、ヒカルが声をかけると 皆が肩を竦めた。

「な、なんでございましょう?ええと  王子…様?」
「…何で疑問形なんだよ。」

ヒカルはそう呟くと、近くの家来達に素朴な疑問をぶつけた。
「ナァ、なんでみんな外にいるんだ?」

「…は?」

皆がいっせいに怪訝な表情を浮かべた時、あかりが慌てて飛んできて、ヒカルとアキラにウエスタンラリアットをかまし

 「ぐぶ!」

たワケではないが、うかつなことを口走られては困る、と御器曽やナチグロの事情を話して聞かせた。

『…“たワケじゃない”って おもいきりそーだったじゃねーか!』

とゲホゲホ咳き込みながら心の中で突っ込んでいたヒカルだが、
話を聞いて二人はびっくり 顔を見合わせる。

 

何故、御器曽が?と周りの者に訊ねる二人だが、誰も答えられない。

ただ突然得体の知れない怪物に成り果てた御器曽に皆が底知れぬ恐怖を感じていた。

今、自国がこんな状態であるのに、西の国が再侵攻を仕掛けてくるのでは と心配する声を聞き、
アキラも苦しそうに首を押さえて咳き込んでいたが、 西の国への心配は無用だ、と皆に告げた。

「若様、それは確かにございますか?」

家来の声にこっくりと頷くと、アキラは西の国を操る元凶が消え去った と話した。

「ヒカル王子と、ボクと、社王子、それに倉田さんに佐為殿も力を貸してくれた」

「しかしヒカル王子はずっと戦にでておられたじゃないか?なあ?」

「バカ、まだわかんねえのかよ、戦場にいたのは王子の影武者ってやつなんだろ?」

兵士達がまだ事情の飲み込めない様子でああだこうだと騒いでいる。

「それでお母さんは?一緒に逃げてきたんだろ?」

ヒカルがそうたずねながらキョロキョロと辺りを見回した。

しかしヒカルの質問にはっきり答えられる者はいない。

 

「みんな…?」

僧侶の一人がこわごわ、ビロードの布に載せた王冠を差し上げて見せながら言った。

「 王冠はこのとおり持ち出されて無事です、…が…」

「まさか…王妃も王の亡骸も、まだ城の中だということか…!?」

アキラがそうつぶやき、ヒカルはみるみる怒りに顔を染めた。

「 バッキャロー!!ナニやってんだ!」

 

ヒカルの胸いっぱいに吸い込んだ息が怒声となって吐き出された。

「な、何しろあっという間に橋が落ちまして、気が付いたときにはもう遅く…」

「王妃様だけではありません、他にもまだ大勢が中に。
ここにいるのは、たまたま城の外や出入り口のそばにいた者ばかりで…」

そうした声があちこちからあがるが、髪が浮き上がるほど興奮したヒカルをなだめることはできなかった。


ヒカルは橋の無くなった城門を睨む。

「いい、オレが行く!」

肩をいからせてヒカルは城に向かって行こうとした。

「とんでもない!」

「 新しく王様になられる方が…!」

「御自ら危険に飛び込まれるなどとは、なりません!」

家来があわてて、いっせいに押さえつけようと飛びかかる。

 

ヒカルが抵抗して叫んだ。

「王じゃねえ!おとうさんもおかあさんも守れないでナニが王だ!
モガ、離せ!離せったら!」

足に 腕に ヒカルの無茶を阻止しようと家来が群がり、しがみつく。

それに抗い、ヒカルは何人もの家来達を引きずりながら、必死の形相でずるずると前進する。

アレだけの戦いを繰り広げてきておいてまだ発揮されるこの怪力。

 

どうやらこの資質も男の魂とは関係なかった模様。

 

王子を止めようと無我夢中で押さえつける家来達だが、

引きずられながら一人また一人とその柔らかい肢体の感触に気付き、ぎょっとした表情を浮かべる。

(それはそれで失礼だ。)

アキラが猛烈な勢いで加勢して、腕や足に縋り付く兵士達を引き剥がしては投げ飛ばす。
が、いずれもショックに抵抗を忘れた者ばかりで、いささか物足りないくらいだった。


決定打は森下師範。

「ヒカル王子、お気持ちはわかりますがここは我等にお任せ下さって、どうかお引きくだされ…!」

正面に立ちはだかって、胸を押さえつける森下師範の手が 凍りついた。

 

それを見るアキラの眼もまた一瞬凍りつく。

「どっ…ど、どこ触ってんだバカ!」

ヒカルが森下のどてっぱらにドカンと蹴りを食らわせるのと、

アキラがどこから湧いたか凄い力で、残った家来達を一気に引き剥がしてしまうのとが、同時だった。


その場に尻餅をつく家来達、

あと数センチでお堀に落下しそうな所まで吹っ飛ばされて腰を抜かす森下師範。

蹴られた腹は、分厚い皮下脂肪が幸いして、大した苦痛は負わなかった様子だが、

「お、王…子… ?その、む、胸に何か…」

いまだ両手が胸元にあがったポーズで、気の抜けた声を出す森下。

顔面が赤くなっているのだろうが
もともと地黒のせいでか、なんだかでっかい甘栗の様にも見える。

 

ヒカルをかばうように立つアキラが、その甘栗顔を射殺す勢いで睨みつけている。

ヒカルもまた、はあはあと息を躍らせながら、胸元を握って睨み返す。

「な、なな…、 何か じゃねーよバカ!

ああ そーさ、 そーだよ…

オレは…

ホントは  女なんだッ!!」


「… !!!!!!! …」
それを耳にした皆が、石の如く固まった。

その隙をついて

「じゃ、じゃあ行くぞ…。 いいな! …もォ、止めるなよ!」

と、 短く告げると

戒めの解けたヒカルが城壁に向かって駆け出した。

「ヒカル!」アキラがすぐさまその後を追う。

振り返るヒカルは、キリリと強気に振るまいながらも、恥じらうように小さく頷いた。