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ヒカ碁二次創作のお話置き場です(ヒカル少女化注意)

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リボンの棋士 54

 

 

その場所から程近くにある、継承者の間。


秘密の部屋の、あの碁盤が、ふわりと光を帯びた。

 

 光は瞬時に膨れ上がり

碁盤の上に人の姿となって浮かんだ。

 

「ふう…。 天のお父上ときたら、私をもう天に戻らせるおつもりなんですから。
…まったく神もお人が悪い。 神だから人じゃないんですがね …って
おっと、これじゃヒカルと同じ物言いですね。
…けれども、お役目が終わったからといってイキナリ対局はないでしょうに まったく…」

光の中から姿を現した佐為は、ふわっと床に降り立つ。

「そりゃあ私は何より囲碁が好きですが、 私だって都合というものが。
もう私がいても役に立たないだの そんなことをしに下界にやったのでもないだのおっしゃるなんて、ひどいと思いませんか?

そりゃ 確かにそうですけれど…。

とにかくまだヒカルがどうなるのか見届けなくては私は落ち着いて天になど帰れません。
いったん堕ちた身ですもの、一局打って、多少の都合をお父様に付けていただく程度の事が何ほど怖いものですか。

なんて、問題発言でしょうかね?


…って ヒカル?アキラ殿? 」



おっと、ここはあの部屋ですか…。


辺りを見回し、自分が居慣れた場所につい戻ってきたことにようやく気付く。

「はて…?対局の上にお父上を説得していたので、たいそう手間は取りましたが、下界の時間はさほど経過していないはず。
いまヒカルはどうしてますかね…?お馬さんたちは二人をちゃんと送り届けてくれたでしょうが…」

扇子を額に当てて辺りを見回す佐為
ふと、壁の向こうを見透かすようにしばらく凝視していたが、
みるみるうちに真剣な眼差しに変わった。



「…これは…! ヒカル!」



。 . 。 . 。


御器曽の鎌が二人に狙いを定め、高々と振りあげられ、
アキラとヒカルは一瞬、寄せ合った体を固くして、そのいびつな棘を持つ刃物を見上げた。

御器曽は当然のように二人がぶら下がる鎖を狙おうとする、が、

…今すぐ鎖を切ってもよいが せっかくだから いたぶってやるか。…

そう考えた御器曽は、眼下に二つ並んだ緊張の走った顔を面白そうに見下ろして狙いを変えた。

「!」
御器曽の腕の先に生えた刃は有機的なギラつきを見せ、ヒカルは息を呑む。
アキラもまたそれを迎え撃つべく、刀を振りあげ、相手の片腕を切り落とさんと突き出す。

しかし、足場もなく片腕で体を宙吊りにしていては、刀に力を込めようも無く、せっかくの攻撃も威力が無い。

対する御器曽は自らの羽でその場にしっかりと浮いている。力の差は歴然だ。

アキラの一太刀はダメージを与えることも出来ず、
笑みを浮かべた御器曽の片手にやんわり受け止められてしまった。

「くっ…!」

「ハハハ、おおコレは手ごわい手ごわい」 
嘲笑の合間にそんな侮辱的な皮肉を言い、御器曽はさも攻撃が効いたかのように押されてみせる。

それは宙に浮いた体をわざと大きく回転させ、アキラの攻撃を受け流そうとするものだった。
くるりと身を翻し、一回りした次に、自らの刀の勢いで無様に回る二人に自分の鎌の一撃を浴びせ、更にいたぶってやろうと考えたのだ。

強大な自分の前に、この無力な二人が慌て、どんなに恐れ戦くだろう、御器曽は陰気な笑みを深くした。

だが優雅に宙を舞っているつもりの御器曽が一回転して目にしたものは
「!」
無様におびえるどころか、戦意みなぎる二人の姿だった。 

「くらえっ!」
真横から繰り出されたヒカルの渾身のキックが御器曽の横っ面に命中した。

御器曽が目を離した一瞬の隙を突き、ヒカルはその足癖の悪さを存分に本領発揮させた。

御器曽がいい気になってのんびりくるりと回ってみせた間に、ヒカルはアキラの刀が弾かれた勢いを借り、壁に足を向けると蹴る様に駆け、自分達の回転に更に勢いを載せる。
ヒカルの健脚は、御器曽が振り向くまでに一気に回りきり、
油断しきったそのマヌケ面に見事、一撃を喰らわせるに成功した。

「ふぐあっ…!?」
「っしゃ!」
「次だ!」
アキラの声を合図に、ヒカルは
「 御器曽から目を離すなよ!」
と叫ぶ。
御器曽との間合いを開けてアキラの攻撃に力を載せるべく、再び足先が壁を捉えると壁面の上を二人して走った。
二人が見事な連携プレイで壁を廻りながら駆け上がると、アキラの合図で一気に落下、
脳震盪を起こしかけて、空中でふらつき、頭を抱えている御器曽の頭上から襲い掛かった。

「!このガキ!」
鎌をもたげて振り仰いだ御器曽、だがこのとき早くもアキラは御器曽の鎧のような腕の継ぎ目を正確に狙い、カウンターの勢いをも借りて、いとも簡単に片腕を刎ね飛ばした。
動体視力はアキラの方が上だった。
「ぐあっ!!!」
斬られた腕は、切り口から、暴れる筋繊維を覗かせて寒色の体液を滴らせ、 回転しながら壁の一角に飛んだ。

「やった!」
「まだだっ!」
アキラは御器曽から眼を離すな、と、飛ぶ腕を眼で追うヒカルを制した。

鎌は壁の暗い隙間に突き刺さり、何かが砕けるような音がした。

斬られた腕を押さえつつ、御器曽が苦痛にうめいている。
そして、復讐に燃える目で二人を見上げた。片頬にヒカルの足型が赤く浮いているのがなんとも格好が付かないが。

「コイツらよくもオレの…ぐおおおお!」
怒りに燃える御器曽。
二人の背を御器曽の手が追いかけるが、スピードが乗って、なかなか捉えることが出来ない。

「ぐぬう、こんな格好になってもちょこまかちょこまかとぉ!」


逃げながらも御器曽を見下ろすヒカルとアキラが、同時に小さく声を上げた。

床板が壁のあたりからガチャガチャと音を立てながらゆっくり展開を始めたのだ。

実は御器曽が黒い虫に命じ、床板を再び敷き詰めようとするからくりを止めていたのだが、
今切り落とされて飛んだ御器曽の鎌が、その役目にあたっていた虫どもを突き殺してしまったらしい。
「チクショウ…!あいつら、よくも!」
御器曽がそのことに気付いてうめいた。

真っ黒い底なしの空間だった足元が、壁際から少しづつ伸びる床によって塞がれようとしていた。

「やった、何とかなるかも!」
「アイツも気をとられている!今だ!」
「次も上からだな?」

ヒカルの問いに頷くアキラ。
上を取るのが、高さのある戦いの場では鉄則だ。

「よおっし!」
ヒカルの足が勢いよく壁を蹴った。

だが、攻撃が届くほんの少し手前で、足元に気をとられていた御器曽は上からの気配に気付き
「同じ手を二度も食うか!」
背中の羽をバッと閉じ、すとんと落ちるように落下した。

「ウワ!?」
鎖を命綱とする二人は、その鎖の長さだけが攻撃できる範囲だ。
御器曽はその攻撃を受けない位置まで落下すると、再び羽を広げ宙に立つように浮いた。

 

攻撃が当たらなかった上に、カウンターで落下を和らげることも出来なかった二人に落下の衝撃が襲い掛かる。

「!」
「ウワ!」

ガクン!という振り落とされそうな勢いに耐え、鎖を手放さないようにするので精一杯だった。

攻撃の届かないことで歯噛みするアキラを、下から見下ろす御器曽は片頬を上げて嘲った。

「…大人を馬鹿にしちゃいけないぜ、ええ?」

壁の隅に眼をやると、御器曽は命じるように小さく声を発した。
たちまち壁の隙間を這い上がる気配がした。
新たに穴の底から黒い虫がやってきて壁の一角の黒い影に取り付いたのだ。

 

直後、僅かに伸びてきていた床板の、動く音がやんだ。
からくりは再び止められてしまったのだ。

「くそ…!」
アキラが睨むが、そのからくりのありかは床の位置よりも低い場所にあり、自分の手はおろか刀の先すらも届く位置ではない。

 

御器曽は、シュッと勢いをつけて二人の目の前に飛び上がってきた。アキラが身構え、刀を持つ手に力を込める。

しかし御器曽はその姿をにやりと笑いつつ正面に眺めるだけで更に上に通り過ぎていった。

 

見上げるヒカル、次の瞬間、ゲッ、という顔をして眼をむいた。

 

自分達より高い位置にまで飛び上がった御器曽。

うるさいような羽の音をさせながらも、空中に いけすかない上品さで立っている。
切り落とされた鎧のような片腕の内側からは、いまだに体液を滴らせているが、もう一方の大きな鎌をゆっくり宙に振って見せ、
もう一対、横腹から伸びる細い腕の一本が、金の鎖の目に深く差し込まれた。

 

自分達が命を預ける鎖を 御器曽が握っている。

「…く…そ…!」
ヒカルは悔しそうに見上げて呻いた。

 

チェックメイト とでもいいたげな顔で、御器曽は二人をみおろしている。

 

「アキラ…!」

「ヒカル…“三”で一気に右だ!」

小さく耳元で聞こえた声に一瞬驚いたが、次いで聞こえるアキラの数を数える声にヒカルは足をゆっくり上げた。

いち にの

「三! 」

 

アキラは体と刀の重みを使い、ヒカルは両足と柔軟な体を生かして、二人は息を合わせて一気に鎖を急回転させた。

 

「!」

御器曽が何事かと驚いた直後、

 

べき!

 

鎖を封じる為に差し込んでいた細い鎌の先が、一気にねじれた鎖に砕かれた。

 

「ぎぃぃっ!?」

 

「うげっ!」
ヒカルは攻撃の成功に歓声を上げるどころか目の前に落下する不気味な虫の肢に身を引いた。

すぐ横にあるアキラの顔を見る。
アキラは刀でヒカルの真正面に落ちてきた肢をたたき飛ばしたが、

その目は、たった今一矢報いたことなど忘れたかのように、次のまた新たな攻撃を模索している。

劣勢にあっても、わずかながらでも相手を攻める術を見失わない、アキラの不屈の闘志にヒカルは内心舌を巻いていた。

 

 

御器曽が鎌を失った腕でわき腹を押さえている。たった今折れた細い肢の生えていた所だ。

 

苦痛で不規則に羽ばたきながら
鎖をもう一方の腕の鎌でがっちりと挟み回転を止めた。

「お遊びはもう終わりだ…」
上から睨む御器曽の顔は、腹の底が凍りつくほどに恐ろしい形相だった。

ヒカルは思わず汗で鎖を掴む手が滑る。必死で指に力を入れてしがみつく。
だが、その鎖もおそらく御器曽の手によって断ち切られてしまうのだ。

 

「コイツを切り落とせば お前らなんか… ん?」
見下ろす御器曽の目に、アキラの姿に隠れ気味になってはいたが、ヒカルの頭に載った王冠が飛び込んだ。

「…そうだ、 その前に…そいつを渡せ…!」

御器曽が鎌で挟んだ鎖をねじると、アキラとヒカルがぐるりと入れ替わる。

 

目の前に現れた王冠を頂くひよこ頭。待ちかねたとばかりに御器曽の鎌のような刃がヒカルの頭上に振り下ろされた。
丁度背後を取られた形で、ヒカルは驚愕の顔で御器曽を振り仰ぐ。

ギン!

すかさずアキラの左腕がヒカルの背後をかばい、その手に握られた刀が御器曽の刃の腕を阻んだ。

あと数センチでヒカルは鎌の先に頭蓋を突かれ王冠を引きはずされようとしていたところだった。

 

寸でのところで助かった、と、ヒカルがアキラに目をやる。

が、まだアキラは歯を食いしばり、猛獣のような目でヒカルの背後を睨んでいる。

刀を持つ腕に力を込め、力みに体を震わせながらも抵抗を続けている。

 

「ふん、貴様、その程度の抵抗しか出来ないのか?もう、降参したらどうだ。」

御器曽は己の鎌の腕を押し付け続ける。

 

鎖にぶら下がるヒカルの両腕にアキラの刀の峰が食い込む。
御器曽は余裕の笑みさえ浮かべ、アキラを圧倒していた。

「や、やめろ、御器曽!アキラに手ェ出すな!」
「よせ、ヒカル…」

「テメェなんかに 負けるかァッ…!」
アキラと二人、宙吊りで身を寄せ合うヒカルは、窮屈そうに頭を御器曽の方に向け、歯を食いしばって相手を睨んだ。

「こんな格好でずいぶん強気な口をきけるもんだな。」
クックックッと笑うと御器曽は鎖をガシャガシャと揺らして見せ、その振動に必死で耐えるヒカルに顔を寄せて言った。

「あきらめるがいいぜ これが運命だ。」

「運命…?これが、か…よ…。」

「左様。どんな者も、運命には逆らえまい?」

ヒカルは、御器曽を睨みつけていた目をゆっくり瞬かせ、俯いた。
そして再び顔を上げて答えた。

 

「…ああ…。そうだな…。 運命に逆らうなんて そんな事できるもんか。」

「おや、ものわかりがよくなったな?」

 

「…、ダケドな、オレたちの運命がどういうのか、なんて、「その時」がこなきゃ、誰にもわかんねェだろ!
オマエにだって! ええ!?」

 

スパコーン!

 

ヒカルは体をねじると、御器曽が近付けてきた下卑た笑顔にスリッパを振り下ろした。

ヒカルに近付きすぎていた御器曽には、ヒカルが腰にこっそり差していたスリッパを、手にしたところが見えていなかったらしい。

まんまと真正面から一撃食らわされ、御器曽は鼻を押さえて退いた。

 

「ぐふぁ!」

「今だ!」

そこをすかさずアキラが切っ先を御器曽の喉元めがけて突きこんだ。

 

ガキッ

 

「そうはいくか…この若僧…」

 

惜しくもアキラの一撃は、御器曽の顔の前に組まれていた鎌の腕で、寸での処で挟みこみ受け止められてしまった。

 

「しまった…やはりこの体勢では勢いが足りない…!」

「この期に及んでまだ俺を…なめやがるのか、…このガキども!」

御器曽がアキラの刀を手放しつつ、その抜き身の側面をしたたかに打った。
柔軟な鋼はその衝撃に躍る。
思わず刀を取り落としそうになり、アキラは必死で柄を握った。

 

返す手が繰り出す御器曽怒りの一振りが、ヒカルのスリッパを真っ二つに断った。

 

あと数ミリでヒカルの指も真っ二つというところだった。 目が点になるヒカル。

 

「ヒカルッ!」

 

「死ね!」
これで終わりとばかりに、御器曽はヒカルめがけて大上段から鎌を振り下ろした。

― 間に合うのか!―
アキラは刀を持つ手を大振りして、身を捻り、吊られた体を回転させ即座にヒカルと入れ替わる。

 

「アキラっ!バカ!」

ヒカルはアキラと位置を入れ替わった勢いで壁に背をぶつけられながら叫んだ。

 

御器曽は振り回された刀に一瞬体を反らしたが、切っ先が行き過ぎるのを待ち受けて、斬られた方の腕で、ヒカルを守るように覆いかぶさったアキラの背中を押さえつける。

「御器曽っ!オマエが欲しいのはこの王冠だろう…!は、放せ…ッ!」

アキラごと御器曽に壁に押し付けられるヒカルは、手足を必死に暴れさせてもがく。
しかし、御器曽の強烈な力に封じられ、ヒカルが壁を蹴ろうが身を捻ろうがびくともしない。

背を押さえられたアキラは 真後ろの敵をすさまじい形相で睨みつけるが手も足も御器曽の棘だらけの鎧のような手足に押し付けられている。

御器曽の姿は今にも昆虫が獲物を捕らえ噛み砕こうとする、そんな体勢だった。

 

「やめろ!御器…   …ッ!!!」

ヒカルの声は 驚愕に 途絶えた。
もがく体が硬直した。

 

 

アキラの肉が裂かれる音が響く。


ざく

という音は耳にではなく 押し付けられていたアキラの体を通じてヒカルの全身に伝わった。



ヒカルの目が円く見開かれた。

「ぐ…ッ…!」

アキラの顔が無念と苦痛に歪み、鎖を握る拳が白く強張った。

 

「       …アキラ…――――!」

 

その拍子にヒカルが瞬きを忘れていた目をしばたかせ、呼吸を忘れていた口を開いてアキラの名を叫ぶ。が、掠れた息は、ほとんど声にならない。


袈裟懸けに、しかし決して鋭利ではない御器曽の鎌がえぐるように裂いたいびつな傷は、アキラの着物の背を真っ赤に染めていく。

そして、その傷は、鎖に吊り下がる腕とぶら下がる体と握られた刀の重みによって、上下に引き裂かれていく。

 

「…アキラ…、アキラ、アキラ? アキラッ!」

ヒカルは必死でアキラに両足を絡ませ、片手を胴に巻き付けて、ぶるぶると震えが激しくなるアキラの体を持ち上げようと試みる。


それがどれほどの効果のあることかはわからない。だが、アキラの体が重みで裂けていくのをなんとしても防ぎたかったのだ。アキラの襟元に噛み付いてまで、ヒカルはアキラを支えようとした。

 

アキラの目は、身を裂く激痛よりも背中を斬られた屈辱に顰められ、
しかし今も反撃を何とか試みようとしているのか、ギラつきをさらに増していた。

 

「下手にはむかえば、それだけ苦しくなるというのに 馬鹿だな。」

御器曽が、刀の柄を握りながらだらりとぶら下がったアキラの腕に眼をつけ、それに近づこうとした。

 

が、アキラは柄を堅く握っていた指を緩め、とっさに刀を手放した。

御器曽の手の届く前に、刀は真下に落ちていった。
「?!刀を捨てた?」


― 捨てたのではない 守ったのだ。 ― 

アキラは無言で御器曽を睨んだ。不敵な笑みさえ浮かべて。

―こんな奴に ボクの刀を奪われてなるものか。―

既に力の入らなくなった腕ではやすやすと刀を渡してしまうことになるだろう。
武士が、背を斬られた上に、刀まで奪われる。そんな事は死んでも御免だった。

 

刀はまっすぐ落下し、塔のはるか暗い奥底に消えると思われた。

 

 

だが、手を離してすぐに、ギン、と濁った金属音が聞こえた。
組み上がりかかって止まっている床が足元にあり、それが刀を弾いていたのだ。

 

それを見た御器曽があわてて刀を拾い上げようとする。しかし、

その手の追いつく前に、弾かれた刀は回転して床の端から滑り落ち、真っ暗な穴の底へと落ちていった。

 

「ちっ!」
ぬか喜びの無様さもあいまって、御器曽が穴の底を覗いて毒づいた。

 

 

「アキラ…!」
刀を落としたアキラを、ヒカルが今にも泣きそうな顔で見つめている。

苦痛で眉間に深く皺を刻んだ顔を、滲む脂汗を振り払うように、アキラは、こんなのなんでもない、と微笑ませて、ヒカルを見つめる。

刀を握っていた腕は小刻みに震え、指の伸びきらないままにヒカルの背に回す。
落とすまいと懸命に絡み付いてくるヒカルの脚に、優しく応え自分の脚を絡みあわせた。

だが、「大丈夫。」と声をかけたくともそれは無理だった。
息を整えてみせるので精一杯なのだ。

アキラの優しさが密着する体を伝わって、苦痛の波と混ざり合いながら伝わってくる。

 

「バカ、こんなんなってまで無理すんな…!」

不安そうな泣き顔のままでヒカルは、自分の為に傷付きなお強がるアキラに、言葉をぶつけた。

その時、アキラを必死に支えようとして胴にまわしていたヒカルの腕が、血でズルリと滑った。

あせって再びアキラを落とすまいと抱きつくヒカル。

だが、見下ろす足元は、もう黒い空間が口を開けているのではなかった。
不完全ながら石の床が伸びていることに気付いたヒカルは、

 

「アキラ…降りよう… オレにつかまってて…。」

鎖を握る手を緩め、鎖を握るアキラの白くなった指を覆いながら剥がさせた。

 

再び上方に飛び上がってきた御器曽が腹立ち紛れに、鎖を鎌にかけると思い切り振り払った。
同時にアキラの体を抱いたまま ヒカルは鎖を滑り落ちる。

 

ジャラララ、と音を立てて、鎖は二人の腕を引っ掻いてすり抜けた。

御器曽の一撃で横っ飛びにされるところを、二人はさっきの刀のように落下することで難を逃れた。

 

どさり。

 

最後にアキラの指を鎖が上滑りしてすり抜け、二人は床に落ちた。

二人の重みを支え、床に降り立ったヒカルの脚だが、すぐにその場に折れ崩れてアキラを抱えたまま尻餅をついた。

不完全な拡がりのまま止まっている床は、ぐらぐらと不安定に軋んだ。

 

必死の形相で、ヒカルはアキラを抱え、床をいざるようにして壁に背をぶつけるまで逃げる。

遠心力で振り落としてやる気でいた御器曽は、落下で逃げおおせた相手に唖然とする。
振り払われた鎖はぐるりとひと戻りし、御器曽の後頭部をひと叩きした。

「んぎ!」

「…アキラッ!」
脂汗を滲ませて苦痛にゆがむアキラの顔に、ヒカルのようやく自由になった手が伸びた。

青ざめた頬とほつれた黒髪に差し出された自分の手は、真っ赤な血に濡れている。

ヒカルは慌てて頬に触れようとした手を引っ込める。血に汚れていない方の腕を、アキラの頭の支えにしようと差し出した。

次いで、アキラの背中の傷を、ヒカルはその時初めて見た。

白い背中を斜めに走る、真っ赤な裂け目がそこにあった。

 

「…アキラ…!こんなにひどいなんて…!」
「…不覚…。」

 

首を振ってそう言いながらもアキラはヒカルに微かに笑みを返した。ヒカルを御器曽の一撃から守りおおせたのだ、その傷を負ったことに後悔はない。

しかし、ひどく深刻な負傷だった。いびつな虫の鎌に裂かれた傷は刀と自分自身の重みでもって更に引き裂かれ、体を起こすのも激しい苦痛を伴う。

 

「ダメ…!もう動いちゃダメだ…!」

 

自分を包み込む柔らかな腕が、怪我を負った自分よりもガクガク震えている事に気付いて叱咤した。

「しっかりしろ、ヒカル、奴はまだキミを狙っている…!ボクにかまうな、ヒカル、剣をとれ…!」

 

ヒカルはアキラを抱きかかえ、どうしたらよいのか途方にくれ、ただ顔を横に振るばかりだ。

そのとき、ヒカルを見上げるアキラの視線はヒカルの背後にに迫る御器曽の姿を捉えた。

たった今ヒカルに向かって剣をとれといったアキラだが、
ヒカルが危ない、と思った瞬間に、肘で懸命に上体を起こし、
ヒカルを押しやりながら自分の後ろにかばおうとした。

「オマエは動くなッ…!血が、血が…!」
ヒカルはそんな行動に出るアキラの上体を慌てて抱えて床に押さえつけようとする。
「これしきのことで怯むな!ヒカル!一緒に戦うんだ!」

背の傷など何ほどでもないと、アキラは壁を背の支えにして脇差に手をかける。

「ヤメロッ!もうヤメロってば!これ以上刀を振り回しちゃだめだって!…クソッ…!アキラのバカ…!」

アキラの動きを止めようと、ヒカルは振り返りざまに剣を抜き、アキラをかばうように御器曽に向かって立ちはだかった。

またも頭にダメージを喰らい、よろめいていた御器曽は、二人が床の上に落ちて命拾いしているのを苦々しく見下ろして舌打ちしたが、
どうやらかなりの傷を負わせ、ようやく追い詰めることが出来た様だ、とにんまりと笑った。

 とどめはゆっくり だが確実に さしてやろう…

足元に向かって小さく合図を送る御器曽。地の底からざわざわと這い上がる音が近づいてきた。

その音に気付くヒカルだが、剣を振るって、切っ先を御器曽に向け叫んだ。

「かかってこい!御器曽!このオレが、叩き落してやる!」
「なんと勇ましい、まるで男のようですな。いや、それともあまり怖いので虚勢を張っておいでかな?」

「なにをォ!」

「御婦人を相手にするのは気が引けますが、よろしい お相手いたしましょう。」

「さんざんカマで襲ってきてやがるくせに、ナニ言ってんだよ!」

言うが早いか、ヒカルの剣先がしなり、御器曽に襲い掛かった。
とっさによけながらも襲い掛かろうとする御器曽だが、ヒカルの素早さには及ばなかった。

よけた拍子にバランスを崩すが、それこそ待ち兼ねていたとばかりにヒカルの次なる攻撃が控えていた。懐を切っ先が掠め、御器曽は悲鳴を上げる。

「 ヒイッ!」

「コラ!降りて来い御器曽!相手するんじゃないのか!卑怯者!」

「間合いを取るのが何が卑怯なもんか。 フン、まったく野蛮なお姫様だ。」

御器曽はとんでもなく情けない叫び声をあげながら床のない中央に転がり逃げると、そのままヒカルの剣の届かない天井近くまで飛び上がった。

あんな好戦的な態度を取っておいていきなりなんと情けないことか。

床の切れ目まで追いながら、それを見上げて処置無しと歯噛みするヒカル。

「そんなに離れて間合いもねェだろ!じゃあ、かかって来いよ!」

掲げた片手の指先をクイ、と曲げて手招きしながら叫ぶヒカルに御器曽はフンと鼻を鳴らし、腹を手でさすった。

ヒカルの攻撃がかすめた所がビリビリ痛む。
そういえば回転蹴りもスリッパの時だって、見事に決まったとはいえ、あまりにもダメージが大きすぎる。

何かあるのか…?

御器曽は首をかしげる。

 

顔を顰めて辺りを見回していた。その時、目に留まったヒカルの背後の人影に、頷きながら、くっと笑いをもらした。

「なんとお気の毒な、大事なナイトが、いや、サムライが、お払い箱になってしまいましたな、王女様。」

「ナニ!?」

ナンか言ってオレを後ろに向かせる魂胆だろうか そう思った瞬間 背後で とさり と音がした。

ギョッとして振り返るヒカル。

壁を背にして座っていたアキラが床に倒れていた。

 

背中を預けていた石の壁には赤い血が、刷毛で書きなぐったように、倒れた跡を描いている。

 

「…!」

ヒカルは剣を持つ手を降ろし、流されるようにアキラの側に歩み寄った。

「来るな…」
アキラのかすかな声が聞こえた。

ザラザラという音が 足元を通り抜ける。
ハッと見下ろすと、何処から再び湧いて出たのか虫が穴の底から這い上がってきていた。

「コイツら、また…!」
ヒカルに近づこうとする虫が、飛び上がるようにして退いていく。

「?」

床を這う虫が、ヒカルの周りだけを避ける。あの白い薬の作用なのかもしれない。 
そしてヒカルを狙うことをあきらめた虫たちが、流れるように向かう先には、

血を流して倒れているアキラが

「ヤだ、そんな………、   アキラ…!」

ヒカルは虫の波を追い越してアキラの側に駆け戻った。

 

アキラの背後からも黒い虫たちが四散する。中には血に濡れて赤い跡を残しながら逃げ去るものまでがいた。
「コイツら、アキラを…!
―――アキラに触るなっ! 」

 

誰にも触れさせるもんか!

ヒカルは アキラに覆いかぶさり、四方から迫ってくる虫たちに睨みを利かせた。

睨まれるとたちまち、触覚に刺激を受けたように虫の群れは近づくのを止め、遠まきに囲んだまま様子を伺っている。

幾匹かの虫が再びこそこそとアキラの裾に近づいた。
ヒカルが手をさっと払うと、遠巻きにしていた虫たちまでが慌ててさらに遠くに逃げ去る。

肩で息をしながら、ヒカルがアキラの顔を覗きこんだ。

「アキラ、…アキラ…!」
「なにしてる…キミがやられるぞ…」

アキラは答えたが、それはもう音を伴う声ではなかった。

「しっかりしろ!バカ!虫に食われてる場合かよ…!」

「バカはキミだ…早く ヤツはまだ…」

 

御器曽は己の眷属がヒカルに立ち向かえない様子に驚きの表情で見下ろしていた。
「っ………!」

黒髪のまとわりつく青白い顔を腕の中に抱えて、ヒカルは言葉にならない声を涙で詰まらせていた。


 

『ヒカル!大丈夫ですかっ!』

 

丁度その時だった。 佐為がヒカルの危機を感じ取って呼びかけたのは。
『ヒカ…』

 

しかしヒカルの心の声を受け止めようとした佐為に届いたのは、メチャクチャな絶叫だった。

『アキラ!アキラ!アキラ!アキラ!アキラ!アキラ!アキラ!!』

 

佐為の呼びかけを弾き飛ばしてしまったヒカルの心の中にひしめく声

 

佐為は息を呑んだ。

 

『 ― ヒカル ― 』
肩の力が抜けた。烏帽子を被った頭を俯かせる。

『もう 私の居場所はあなたの中にはないのですね…。ヒカル …』

 

しかし、ヒカルの絶体絶命の大ピンチに、袖で涙を拭っている場合ではない。

『ヒカルッ!しっかりなさい!私の声が聞こえますか?!

聞こえませんか!
聞こえてなかったらもっと大きな声で呼びますからそうおっしゃい!』

無茶なことを言っているのが自分ではわかっているのだろうか。

 

ヒカルの反応は、当然ながら得られるわけはない。その時、

『ヒカル…  !あぶないっ!後ろ!』

 

佐為の目には、御器曽がコレは好機と、アキラを抱きかかえるヒカルに近づいていくのが見え、思わず叫んだ。

だがこんな叫びは、大抵 肝心の相手には届かないものなのである。

 

「ええい、 今、参りますからねっ!」

佐為は、自分のいる部屋の、壁に向かって駆け出した。
その壁の向こうの、更に下方にヒカルたちのいる場所がある。

一気にその壁をすり抜けて、ヒカルの元に飛んでいこうとした次の瞬間、

 

「おおっと!」

佐為が部屋の中にある何かに蹴つまづいた。
秘密の部屋の中に数多く置かれた品々のひとつが床に転がっていたのだ。

佐為に蹴飛ばされ、小さな赤い円筒の様なその品は、佐為の代わりに壁をすり抜け、勢いよく飛んできたかと思うと、御器曽の後頭部に命中した。

 

   カイーン!

 

「げふッ!?」

金属で出来た円筒は、さすがに当たると痛そうだった。
先ほどの鎖に続いて、御器曽の後頭部に打撃を与えた物体は、弾かれて飛び、何度か床に跳ねるたび金属音をたてながら、ヒカルの足元に転がった。

 

 

「な、ナニ?…」

 

ヒカルはようやく顔を上げた。

『ヒ、ヒカルッ!』
「…佐為?」

 

その拍子でようやく佐為の呼びかけが胸に届く。

佐為の声がした…佐為佐為?ここにいるのっ?」

 

見回して目に留まった赤い缶を拾い上げる。

「コレ… ナニ…?佐為が投げてよこしたのかな?」

ヒカルは正体不明の金属の筒を手に首をかしげつつ、もしかして佐為の救いの手なのか、と

急いで蓋を開ける。


「ナンダロ?…また蓋 ?…」

 

中に何か入っているかと思ったが、何か奇妙な突起のある蓋のようなものが見えるだけの中身にヒカルは困惑した。が、

その瞬間、横からその赤い缶を御器曽にいきなりさらわれた。

 

「何だソイツは一体!」
「ウワッ!?」

 

鎌ではさまれた缶は、中身を石の床にこすられながらヒカルの手からもぎ取られ、御器曽の手元に引き寄せられた。

 

こすられた缶は、中からシュッと小さな音がした。

「ああっ?!か、返せ!」

 

手の中にあった佐為からの品物(?)をあっという間に奪われ、ヒカルは焦った。

なんだかわからないけど、それがあれば… アキラが助かるのかもしれない…!

 

「フン、こりゃまたなんだ、こんなものを何処から、…ん?何だこの煙…。」

 

缶の中から白い煙が吹き上がっていた。

 

最初は小さな噴煙が、徐々に強く大きく吹き上がっていく。

吹き上がった煙は天井高くまで吹き上がると部屋の中に拡がって、あたりを白く染めながら、壁を伝い床に這った。

「へえ、こいつは何か、魔法の道具か何かか?」

きっと召使でも出てくるんだろう、しめしめ、と言いたげな期待を抱いた顔で缶を眺め回した。

 

「か、返せッ!」

手を伸ばすヒカルに今度は御器曽が逃げる番だ。

御器曽は、床板の無い、部屋のど真ん中まで逃げると、空中に羽を羽ばたかせて立っていた。
「おおっと、コイツは渡せねえな。一体、何が出てくるのか知らねえが、 オマエらの好きにはさせねえぜ!」

「チッキショウ…!」

「くっくっくっ…生憎だったな、 どれ?コイツは一体どういうモノなのか…な…  ぐ、ふ…っ?」

吹 きあがり続ける白い煙の向こうにぼんやりと見えるだけになってしまった御器曽の姿が

少しぐらつき、苦しげに屈んだ。

 

「!?」

ヒカルとアキラがその様子に目を凝らす。

 

「どう…なったんだ…?」

ザラザラザラ!という大きな音が響き、虫の群れで黒光りに染まっていた床がみるみる白くなる。どうやら奴らは慌てて部屋から元の穴の底に逃げ出したらしい。

 ― ナンかわかんないけど、恐ろしいことが起きてる?!―

助かったとはいえ、異様な事態に、ヒカルは後ずさりし、
床に伏せたままのアキラをかばうようにマントを覆い被せた。

再び腰の剣に手を伸ばし、御器曽が襲い掛かってくるのを迎え撃つべく身構える。

「毒の煙かっ…!
…貴様ら、何処までもふざけた真似をしやがって…!」
御器曽は空中で苦しみもだえながら、手に持った缶を投げつけようとした。

しかしそれは空しくも、挟み込んでいた鎌の間から滑り落ち、白い煙を吹きながら黒い塔の底へと落ちていった。

 

体を屈曲させ、苦しむ御器曽。
羽ばたきの音が乱れはじめ、徐々に高さが落ちていく。

 

その時、床がゴトゴトと響き始め、再び床石を拡げはじめた。

御器曽が苦しむ原因の白い煙はいまやあたりを濃く漂い、隅々に行き渡っていた。
からくりを止める役目を担っていた大勢の虫もまた、御器曽と同じくその煙にやられ、次々と穴の底に落ちていったのだった。


『あいたたた… こんなところでコケてしまうなんて、まだ力を失っていたときのクセが抜けていないんでしょうか』

たった一人で呟くそんなセリフに、もともとそういう性質だ というツッコミを誰も入れられないのは残念な状況だった。


「ひっ … ぐ… 」

力のなくなりつつある羽を懸命に羽ばたかせるが、少し浮いては沈み、水平を保つのがやっとの御器曽。

そんな姿を他所に、からくりはゴトゴトという音をたてながら容赦なく床を中央へと延ばしていく。

やがて、がきりという音をたてて、床のからくりが、真ん中に御器曽の体を挟み込んで止まった。

 

しかし、完全に止まったわけではなく、 ミシミシと堅い鎧を締め付け続けている。

石の床が万力のように締め付ける上に、なまじあちこち尖った昆虫のような鎧の体をしているがために、上へも下へも、隙間を抜けることは出来そうになかった。

 

「 ぬ、抜けん! …くそ!」

床の真ん中に上半身を生やしたような姿で御器曽はもがいていた。

 

「…あれは あの虫を駆除する薬だったのか…?」
「そんなものを…佐為が…?」

 

 

 

。 . 。 . 。

 

 

 

そう、佐為ではない。先ほどの赤い缶。
それは、桑原博士がヒカルに与えた魔法薬の材料を集める為に作った、害虫駆除薬であった。
他にも家屋の形状をした生け捕り用器具や
誘き寄せて電撃で捉える道具など、この城の各所に設置されていた。
ヒカルいわく、この城にそのテの虫が少ない というのは、そういうわけなのである。

「博士、仰せの通り、城の周りにも焚きました!」

「全箇所同時にやらねば意味がないからのう、一箇所でも置き忘れの無い様にの。」

 

偶然にも時を同じくして、桑原が指示して城の周りで薬を焚かせている。

「本当に効くのか?」
緒方が胡散臭そうに城壁の中から吹き上がる白煙を見ていた。

「バカモン、ワシの特製魔法薬に文句を言うでない。…ホレ、お前さんもアッチにこれを焚け。」

「…ジジイ。」

「ヒカルたちがまだ中にいるのは、大丈夫なのでしょうか…?」

なんだかんだで無事逃げおおせた王と王妃がそれを心配そうに見守っていた。

「人には害が無いと、博士が仰ってました。これだけ大掛かりに駆除をすれば、きっと、ヒカル様の手助けになりますわ。」

あかりが答えながら城の外門に「駆除薬使用中」の張り紙を貼る。

「それは?」
「博士がこれを外門に貼る様にと。」 
「害が無い、などと言っておきながら、そんな紙を貼るのかね?」

「さあ…。火事と間違えないように ではないですか?」
小さくおりたたまれていたのであろう薄い張り紙の折り目を伸ばしながら
よくわかりませんが、とあかりが首を傾げて言った。


見上げる城は、城壁の中を煙で満たし、まるで白い雲の中にぽっかりと浮かぶ天空の城のようだった。
下の階層から順に窓という窓、隙間という隙間からから白い煙を細く噴出していく。

 

二人が今どの辺りにいるのか、外にいる者達にはわからなかったが、

煙がおさまり、虫達が全滅するのをただ見守るだけだ。

「…さて そろそろよいかのう。」

桑原が杖を取り出し なにやら呪文を詠唱している。

 

大勢が見守る中、杖をかざす桑原。

杖の先からほとばしる雷光が外門に張られた張り紙に当たると光が膨張し、

城壁の中の白煙が稲妻を散らしながら一瞬膨れ上がった。 

 

「…あの紙は魔法の道具だったんですね…。」

「当たり前じゃ。…なんだと思うとったんじゃな。ご近所へのお知らせじゃないわい。
…、もうエエ加減時間をかけとうないのでな。これでこの…
隅々まで効く煙がおさまれば、あの虫どもも、きれいさっぱり全滅じゃ。 」

 

 

。 . 。 . 。

 

 

「ぐぬう…!おい、助けに来んか、何をしている…!く、みんなやられたってのか?何だ今の煙は…!毒の…煙か…!」

下に逃げた虫は皆、桑原の魔法薬で息絶えてしまったのだった。

穴の底から立ち昇る煙は、先ほどの小さな赤い缶の煙より更に濃く、御器曽は苦しみむせ返った。

 

しかし、ヒカルや大怪我を負ったアキラさえも、その煙に弱らされていないのを見て、御器曽は今まで、自分が人間を超えた力を得たと思っていたのは、どうやら勘違いだと気付いた。

 

「虫に されちまった だけだったってのか…?俺は…。 
イヤ、そんなはずはない、そんなはずは…!くそう、ココさえ抜け出せればッ!」

 

煙に苦しむ上に、体を抜こうと騒ぎもがいている御器曽。
二人は声なく見つめていた。
腕の中のアキラが、乱れる呼吸の合間に、ヒカルに小さな、だがしっかりとした声で言った。

「相手の…身動きが取れない…今しかない。…ヒカル、…とどめをさすんだ。」
「! で、でも…」
「ぐずぐず…していたら…とりかえしがつかないぞ…!」

行くんだ、とヒカルを促すアキラ。

「ボクが行ってやりたいが どうやら無理だ。
ヒカル… キミは 一人ででも 守れるか…?」

 

自分の国を とアキラは言おうとしていた。

曲がりなりにも王子であるヒカルである。その意は伝わった。
頭ではそれが理解できたのだが、
今、ヒカルの心が守ろうと思ったのは、目の前に倒れる男だけだった。

「ン…。当然じゃねェか…。」

アキラをそっと床に横たえ、苦痛に耐えて深く皺の刻まれたその目元に、甘く唇を寄せた。

「ヒ カ…」

小さく頷きながら、ヒカルは立ち上がり、剣を片手に一歩一歩部屋の中央に近づいていった。

「御 器 曽 … 」

みっともないほどの慌てふためきようで、御器曽はその場でもがいていた。
剣を手に見下ろすヒカルを見て、一瞬ギョッとする。

「お…!
  お  お、王子様、まさか私を
    …私などをお斬りになって剣を汚されるおつもりではありますまいな?」

 

ヒカルは剣を振り、御器曽の目の前に切っ先をビタリと当てた。
「…ナニ言ってんだ、…もう観念しろ…!」

ヒカルは自らを奮い立たせようと御器曽を睨みつけて首を強く振りたてた。

 

 

その勢いで、ヒカルの頭上にあった王冠が滑り落ち、ヒカルと御器曽の間でくるくると転がる。

それが目に入った瞬間、御器曽の目の色が変わった。
床の上に出ている上半身は前にのめり、一本の鎌の付いた腕と腋から伸びる細い肢、途中からしか無い腕までもが、転がる金の輪を手にしようと必死に床を掻いた。

コロコロと目の前を回る王冠が、自分に近づけば懸命に掻き寄せようとし、遠ざかれば焦って長い腕を伸ばす 
まるで目の前の獲物しか見えていない動物のような仕草に、ヒカルは顔をしかめ、唇を噛んだ。


「ひゃはははは王冠!王冠!王冠だ!」

ヒカルは、大騒ぎする御器曽の目の前を転がる王冠を拾い上げ、
途端に落胆した声を上げる御器曽を睨んだ。

「何で… なんでこんなものが欲しかったんだよ…」

ヒカルの問いに

「知れたこと、この国を私の物に…」

「国なんかを自分のものにしたところで 何が楽しいのさ」

王子の言葉に 重く沈んだ口調に一瞬戸惑う御器曽。

 

「オマエに出来るのかよ 国を治めるって 大変なんだぞ … いいことばっかりじゃない たくさんの命を預かって守っていく覚悟 あんのかよ…!」

 

「わ 私は… 」

何か考えて言いかけたものの、御器曽は再び目の前にある王冠にとらわれ、狂喜して、求めようとその手を必死に動かす。
もう深い思考は出来なくなっているのだろう。

 

「…こんなもののために…ッ
何で アキラを アキラを

ばかあああああっ!」

ヒカルは王冠を振りあげると御器曽に投げつけた。

 

「…バカヤロー!
こんなものくれてやるっ!」

脳天にぶつけられた王冠が弾かれた。

頭に当たった拍子に悲鳴を上げた御器曽だが、弾かれて飛び上がった王冠を必死に腕が追い、その手に掴んで、喜びの声を上げた。

 

御器曽は正気からズレた笑い声を上げながら、
不器用な仕草で懸命に王冠を自分の頭に押し込んだ。

ヒカルはこぼれる涙を拭きもせず、叫んだ。
「そんなもの、何にもならない…!
守りたいものも何も無いくせに、そんなモノだけ手に入れたって、何の役にも立つもんか!」

狂喜する御器曽に そんなヒカルの声が聞こえたのかどうかは わからなかったが、
御器曽の笑い声が不意に途絶えた。
タガの外れた笑顔がみるみる剥がれ落ちていく。

無我夢中で求めていたものが手に入ったのに、さて、その先に何があるのか。
御器曽には まるで見えてこなかった。

喜びも消え、もがく事も忘れて、御器曽は呆然と 涙を零すヒカルを見上げた。

「…なあ …弱くてさ、小さい国なんだよ…この国は… 周りのでっかい国と仲良くやっていくのだって大変なんだから…ましてやゼータクなんてそうは出来ないぞ…」

「わ…私は……………。」

「この国が好きか?御器曽、オマエはこの国を大事にしていきてェって気持ち 持ってんのか?!」

ビシ

堅い鎧の胴が嫌な音を立てた。

 

床石の圧迫に御器曽の体がひびを入れられたのだ。

 

「ヒッ!」
御器曽がヒカルを見上げた。

正気に戻ったのか 命の危険に恐怖しているだけなのか 目を見開いてヒカルを見上げる

「お…王女様…!」
腕を差し伸べた。
延命を望んでいるのか 許しを乞うているのか

ヒカルは泣きながら肩を息で躍らせていたが
石に押しつぶされようとしている御器曽の その顔は、たった今まで目先のことに一喜一憂していた浅ましい表情とは少し違ったように見えた。

まっすぐに自分に救いを求めて手を伸ばそうとしてくる御器曽。
それを見て、ヒカルも剣を持っていない方の腕を手を伸ばした。

とどめを差すつもりで立ち向かった相手なのに、思わずそうしてしまったのだ。

 

しかし

その手の届くよりわずかに早く、御器曽の絶叫が響き

 

  石の組み上がる音が 無情にも 部屋に重く響いた。

その瞬間、 固い殻が砕ける音と、柔らかい臓器のつぶれる音が混ざり、ヒカルは思わず肩を強張らせ目をきつく閉じた。

その後の静けさに 再び目を開けると
ヒカルの足元には、父の王冠が転がり、組み上がった石の床がわずかな青い体液にまみれているだけだった。
シュウ、という音とともに、石組みの床の隙間から煙が漏れ出している。

唖然と目を見開き突っ立っているヒカル。

ふと気付くとそのすぐ傍らには同じく床を見つめて立っている


    佐為がいた。

佐為…」
揺らめいて見える佐為の姿は、ほのかに輝いて柔らかく微笑んだ。

佐為が…?」
ヒカルの問いに、佐為は首を振った。

「 ― あの者は自分で滅んだのです。私はその果てた体を消しただけ。
あの者自身の魂は、ずっと以前に、消されてしまっていたようです。 
代わりに彼の体を支配していたのは 闇の力で与えられた、黒い小さな虫の命。 ―」

「でも…」
ヒカルは御器曽が最期に見せた表情に、人間らしいものが確かにあったような気がしていた。 

「…それは肉体に残った記憶でしょう…人間だった時の残像…。 今ココにはもう存在しない、灯の消えた跡に立ち上る煙のようなものですよ… 」


佐為の言葉を言葉もなく聞いていたヒカルだったが、はっと振り返り、アキラの側に駆け寄った。

「アキラ!」
「 ……ヒカル…」

アキラは、あたりの気配で、御器曽を倒したのだろう事を感じ取って安堵の笑みをかすかに浮かべる。

倒したわけじゃなく自滅したのだ  ヒカルは首を横に振った。

 

アキラの青ざめた頬を、ヒカルは まだ命の灯があることを確かめるように包み込む。
ヒカルの手の甘いぬくもりにアキラは微笑んだ。

「お、オイ、そんな顔しないでくれ!気を抜いちゃダメだ、…アキラ!」

ヒカルはゾッとした。

女の子の格好をしているときには確かにこんな優しい顔で見つめられ、その表情に胸が高鳴った。

 

だけど、男の格好をしている自分にはアキラはどこか厳しかったはずだ。自分が王女だとわかった後でも。

それは、男の格好のヒカルは男として扱わなくてはいけない、それがヒカルの意思を尊重する事だ と、アキラが自分自身に言い聞かせていたからだった。
アキラがそう言った事はもちろんないが、アキラの葛藤をいびつな表現で受けるのをたびたび感じていたヒカルには 何となくだが、それがわかっていた様に思う。

 

それが、こんなに怪我や疲労の苦痛を味わう中で、なお、柔らかな笑顔を投げかけてきたのだ。

 

ヒカルの中で嫌な音色の鐘が鳴り響く。
「 こんな…こんな時にそんな顔しないでくれよ…!ヤダ… 死んじゃイヤだよ!アキラッ!」

ヒカルは必死の思いで振り返った。

佐為佐為、いる!?
お願い、助けて!アキラを、アキラを助けて! 」

 

「…さ…い?」
唐突に呼ばれたその名前にアキラは驚く。

アキラは佐為が再び現れたことに気付いていなかったのだった。

 

『 彼が   …戻ってきていたのか?』
ヒカルの振り仰ぐ方をアキラは目で追った。

かすむ目に、うすぼんやりとだが、清らかな光のようなものが見える。

 

「…。」
佐為は無言で空間に揺らめいていた。

ヒカルを手助けしたのだろうか アキラはそう思いながら 今更現れた佐為に歓迎の色を目に浮かべることが出来なかった。

そんなアキラの訝かしむ様子になど気付くことなく、ヒカルは必死で乞い願う。

 

「アキラを死なせたくないんだ!お願い!助けて佐為

オレの魂をやるから! 」


アキラは目を見開いた。
『ダメだ!』
ヒカルの袖を震える手で掴んだ。

『ヒカル、いけない…!』

アキラは佐為のいる方に顔を向けた。

 

アキラの頬も 唇も すでに血潮が引き失せて 力が入らない。
ただ目だけが、ヒカルを奪われまいと爛々と輝いていた。

アキラは今が佐為がヒカルをさらっていく格好の場面である事が最大の恐れなのだ。
今ならたとえ相手が天の使いでなく 愚鈍な村人であってもやすやすと自分の手からヒカルを連れ去る事が出来るだろうことが最大の不覚事なのだ。

 

「ヒ…カ…ル…」

「アキラ」

佐為にむかって首を伸ばすように必死で見つめているヒカルに、アキラはもう出ない声を絞って呼びかけた。
ヒカルがその声に気付いてアキラの目を見る。
アキラは目元だけかすかに微笑んだ

「いいんだ… ヒカル …キミは 何も お願いしちゃ いけない…。」
「なにいってんだよ!オマエが死んじゃうなんてヤダ!」
「ボクだって…キミが 死んじゃうなんて 嫌だ…」
「アキラ…」

「嫌なんだ
どこかへ行くなんて嫌なんだ…」

寒そうな唇が薄く開いて
一つ呟くごとに
吸う息がか細く震えている。

「ヒカル 行っちゃダメだ 
ボクの側にいて
一緒になりたいんだ…
ずっと一緒に いたい ん だ…」

 

アキラの言葉が耳に届いた瞬間、ヒカルの肌が粟立った。

 

腕の中のアキラが ずしりと重さを増したのだ。

 


「ア … アキラ! アキラ!!」

ヒカルはアキラに呼びかけ、

 

そしてすがるような目で佐為を見上げた。

 

佐為がゆっくりと頷き、白い袖を広げると、

ヒカルは そっと 本当にそっとアキラの体を床に横たえ、

固くしがみ付いた指に唇をよせながら、優しくほどくと、
静かに側を離れて 佐為の側に歩み寄った。

「行 く な

行っちゃ ダメ だ …」

アキラの乱れる息と冷たい唇が、ヒカルを呼び戻そうと懸命に言葉をつくりだす

「ボクの ために 自分を 無駄になんか…」

 

「…無駄になんかしないよ」
捨石だって必要な時があるじゃん

背を向けたまま小さな声でつぶやいた。

 

佐為が両手を広げヒカルを包み込み
ヒカルはかすかな痛みに耐えるように眉をきゅうと寄せた。

 

『 ― 私と行くのですか ― 』
「…ン…。」


ヒカルが幻影の様な佐為の手を取ると、二人の姿が掻き消えた。

 

「ヒカル!!」
アキラの頭の中にその名前が爆発を起こす。
アキラは喉が破れるほどその名を叫んだ。

 

しかし もはや声は出ず

きしむ様な吐息が空気に散り、自分の足掻く音だけが冷たい石に刻まれ―――

 

 

 

 

あたりは冷たい静寂に包まれた。

 

 

 

 

 

自分の声が届いたかどうかわからない。

無視された形でヒカルが消えた。

 

追い求めようと身をよじると背中から全身に噛み破られるような衝撃が走る。
熱なのか電気なのかわからないものに呼吸さえ押さえつけられ、もはや苦痛という表現を超えていた。

意思など関係なく体が硬直するのを鞭打ちたい気持ちで歯噛みし、眉間に深く皺を刻んで瞼をかたく締め付けた。

 

 

その時、何の前触れもなく
瞼の中に赤い色が広がり、悪寒だけが這う体の表面に突然暖かい膜が纏わりつくのを感じた。

 


― ひかり か…?―

 

まるで陽光のような と感じた

 

 

刹那、閉じた弁が開かれたように、空気が突然すんなりと胸に満たされて、

「 ヒカル!! 」

大きな叫びを発しながら、目を見開きガバリと起き上がる。

嘘のように軽くなった体は、夢から覚めた時の様に、拍子抜けするほど、いとも簡単に起き上がった。

その事にアキラ自身が驚き、 戸惑いのあまりに二、三度、瞬きをした。

 


もはや体の何処にも苦痛を感じる事がない。
自分は死んだのか 

と一瞬思ったくらいだ。

床に目を落とす。
自分の肉体が横たわっている などということはない。

戦いに乱れ、汚れにまみれた衣服
入り込んだ指先が感じるのは確かに息づく自分の体。


アキラは、それに安堵の息を漏らしつつ、御器曽にひどく裂かれた、背中のいびつな破れ目にも手を伸ばし

 

愕然と凍りつく。


― 傷さえない。―


確かに生きた暖かい体が 
手探りの問いかけに どこもかしこも問題のない感触で健康を応える体が ここにある。

だが、その事が示すものは。

 

飲み込んだ息を継ぐことも出来ず

呆然と凍りついた表情のまま

重くのしかかる現実に
全身が力を失った。

 

一旦 立ち上がった体は 糸の切れた操り人形のように
どすん、と無様な尻餅をつき
そのまま動きが  止まってしまった。

 

どんな時にもあきらめたりしない
活路を見出そうとする輝きは失われた事はなかった

 

アキラの瞳が

 

光を失った。


「  ヒ カ ル … 」

大きく見開かれたその目も
頭の中も

まっくらだった 。

 

呪わしいほど活き活きとした
痛みの 傷の 消えた己の体が示すもの。

 

 

それは、聞き届けられた ということだ。

… ヒカルの願いが。

 


― オレの魂と引き換えに   アキラを助けて ―